書評:「音楽心理療法の力動〜転移と逆転移をめぐって〜」

この本は、精神力動指向の音楽療法士が執筆し、ケネス・ブルシアが編纂した本である。この本の目的についてブルシア(1998/2017 a)は、「音楽心理療法…において、転移と逆転移はどのように現れるか、現時点での洞察を提示すること」(p. 19)と述べている。転移とはとても簡単にいうと、臨床関係において、クライエントが過去の人間関係に基づく感情や思考パターンをセラピストとの関係に影響させることである。逆転移はこの逆で、セラピストが過去の人間関係に基づく感情や思考パターンをクライエントとの関係に影響させることである。これは従来の心理療法における概念であるが、音楽療法においてこの転移逆転移の対象は、クライエントとセラピストの二者間の関係以外にも存在する。それは音楽である。この第三の転移逆転移対象である音楽について取り扱った本書は、心理療法の文献においても重要な役割を持つと思われる。

もともと1998年にBarcelona Publishersより出版されたこの本が、2017年の日本において出版されたこともまた、日本の音楽療法にとってとても深い意義がある。翻訳者である小宮(2017)もその意義と意図についてまえがきで触れている。小宮は、日本では深層心理を探る音楽心理療法への潜在的ニーズはあるものの、精神力動に基づいた音楽療法への認知度も低く、それを専門にする教育機関も充実していないために、この本が日本でも手に取れるようにすることで、日本の音楽療法の幅の広がりを期待している。近年、音楽とイメージ誘導法(ガイデッド・イメジュリー・アンド・ミュージック、以下GIM)の実践家育成訓練(名古屋音楽大学、2016年6月28日)や、「精神分析的音楽療法」セラピスト養成講座(ドイツ音楽療法センター、n.d.)が開催されるなど、精神力動にその基盤を持つ音楽心理療法が活発になっている。その現代の日本においてこの本の日本語訳が出版されるのは大変に意義のあることである。

この本の重要性についてさらに述べると、この本はどのようにクライエントから転移を表してくるかということのみならず、どのように我々音楽療法士が逆転移をクライエント、そして音楽に表すかということに意識を向けさせてくれる。特に我々が音楽に対して抱く逆転移が、どのように療法に作用するのかを意識することは、倫理的側面から考えても極めて重要である。何故なら音楽に対する逆転移が療法のプロセスを汚染する可能性があるからである。ルクール(1998/2017)は「逆転移における審美性の役割」の章の中で、次のようにその危険性について言及している。

審美的指向のセラピーは、セラピストが自己愛的に補償の形式が欠如していることや、それを探していることが出てしまっているのかもしれない(…)。この場合音楽療法における音楽は、最初セラピストのニーズに答え、この補償への探索は自分自身のセラピーワークを行うことへのセラピストの抵抗の形式となりうる。患者とセラピストによる融合的な関係で共有される審美的な興奮は、至高体験のように、もしセラピストが患者と同じニーズを持つほどに職業的な距離を失った場合、過剰に自己愛的になりうる(p. 194)。

つまり、(音楽の)美的体験への自分のニーズ、または深い美的体験を他者と共有したいという音楽療法士側のニーズを、自らのセラピーで探索することをせず、他者の療法の場面で充足しようということが、療法のプロセスを汚染する逆転移の可能性を秘めているのである。このような逆転移についてどのように気づき、管理するかについては、ブルシアが第5章(「逆転移のサイン」)と第6章(「逆転移を明らかにし、取り扱うための技法」)で、また臨床例が書かれているその他の章において述べられている(1998/2017 b; 1998/2017 c)。特にタリー(1998/2017)とスカイビュー(1998/2017)、ブルシア(1998/2017 f; 1998/2017 g)の章は、逆転移について、本人の私的で誠実な内省を含めて多くの示唆を与えてくれるものである。

この本は大きく二つの部分に分けられる。前半には編纂者のブルシア自身が、精神力動における転移と逆転移、抵抗などの概念について詳述し、後半はそれらの概念が臨床においてどのように展開されるか、三つのアプローチの臨床家が論じる構成となっている。この本で扱われている三つのアプローチとは、即興演奏、歌、GIMである。即興演奏における力動については、ノードフ・ロビンズ音楽療法からタリーが、分析的音楽療法からはスカイビューが執筆している。歌については、ノラン(1998/2017)やボーカル・サイコセラピー(即興的な歌唱技法)のオースティン(1998/2017)が執筆している。GIMからは、サマー(1998/2017)やブルシア自身も執筆している(1998/2017 d; 1998/2017 e; 1998/2017 f; 1998/2017 g)。またヴェネゼーラのチュマッセイロ(1998/2017 a; 1998/2017 b)、フランスのルクール、カナダのアイゼンベルグ・グルゼダ(1998/2017)、合わせてデンマークの背景を持つスカイビューも執筆しており、アメリカ以外の視点も含まれている。

この本で特筆すべきは、ハドリー(1998/2017)とペッリテッリ(1998/2017)の章において、彼らが「クライエント」として受けた音楽療法セッションにおける転移反応について内省、分析していることだ。彼らは音楽療法士であり、これらの反応は個人的なものに過ぎないが、彼らの反応は音楽心理療法を受けるクライエントが持ちうる転移反応を具体的に表している。ハドリーはノードフ・ロビンズ音楽療法と分析的音楽療法を受けて、ペッリテッリはGIMを受けての転移反応について考察しており、この本を通して三つのアプローチの転移逆転移の両側面に触れることができる。ただ彼らの章や、前述のタリー、スカイビュー、ブルシア(1998/2017 f; 1998/2017 g)の章を読む上で読者が心に留めておかなければならないのは、彼らの自己開示はこの本がもたらす学術的意義のために葛藤の中で行われているものであり、実践家としてのあり方に対する評価や批判の対象にするものではないということである。

              この本がターゲットとしている読者は、大学で音楽療法やその関連領域についての学びを終え、さらに音楽を精神力動指向の療法に用いることを望んでいる人である。端的にいうと大学院やそれ以上のレベルの本である。つまり精神力動や、音楽療法にある程度触れた経験がある人であれば理解できるが、全く音楽療法に触れたことのない人が手にして容易に理解できる内容ではない。この本の前半で、精神力動の構成概念や、クライアントセラピスト間の力動について詳述されていると述べたが、それらは「心理学概論」の教科書にあるような図表を用いての解説がされているわけではない。そのような知識や経験による下地が、読者側にある程度あるという前提で書かれている。つまりフロイトやユングという名前を聞いて彼らが誰でどのような理論(例;イド、自我、超自我、心理性的発達理論、元型、など)をどのような用語を用いて展開したのかを大まかにでもわからないと、この本を読み進めるにも膨大な時間がかかってしまうと考えられる。さらに言えば、ノードフ・ロビンズ音楽療法や分析的音楽療法、GIMや精神力動に基づいた音楽心理療法への学びの過程にある人が、転移と逆転移の力動に意識を向けるために読むべき専門書である。

              この本で取り扱われている三つのアプローチの一つに、日本の音楽療法士が最も馴染みがあると思われる、「歌」を取り巻く実践がある。しかし、この本の中でそれが扱われている分量には物足りなさを感じる。オースティンの技法について書かれた章は、それ自体は非常に示唆に富むものではあるが、歌唱というよりも即興をベースにしたものである。チュマッセイロの二つの章も歌を取り扱っているが、精神力動の文献の中で、どのように無意識または意識的に思い浮かぶ歌が解釈されてきたかというもので、臨床現場での適応については限定的である。また、モンテッロ(1998/2017)はトラウマを受けた個人とのワークを紹介した章で、歌を用いた実践についてわずかに紹介している。ノランはソングライティング(歌作り)の過程での逆転移に触れているが、歌に関する取り扱いはその程度にすぎず、全体のボリュームから考えると物足りなさを感じる。

              それではこの本は、即興やGIMを勉強、実践しているごく一部の人だけが読めば良い本であるかといわれると、そうとも限らない。特に、前述のルクールが指摘した通り、音楽療法士には療法の過程で逆転移というものがあり、それが療法のプロセスを汚染する可能性があるということを知るという意味では、定期的に読み返すと良い本である。この本に触れることは、音楽療法士自身の成長や自己管理の必要性、倫理的問題への啓発においても重要である。特に前述のブルシアによる章(「逆転移のサイン」、「逆転移を明らかにし、取り扱うための技法」)は単体で読んでも示唆に富むものである。

              最後に、この本を日本の音楽療法の知識体に送り出してくれた小宮氏には深い尊敬と感謝を表したい。読むことでさえ大変な本を一人で翻訳したのには大変なご苦労があったであろう。この本の翻訳には、精神力動と音楽療法の両方に造詣の深い小宮氏でなければ成し得なかったと考えられる。また、直接この本の編纂者のブルシアと交渉をし、自ら翻訳を行い、アマゾンのオンデマンド方式で出版したことは、利益に結びつきにくい専門書の扱いに消極的な日本の出版業界の現実と、音楽療法の学術的発展に、一石を投じる行為だったと思う。一人で作業されたということもあるのか、誤字脱字は散見されるのだが、これらについては読者である私からも指摘をして、次の版での改善に期待したい。欲を言えば、667ページからなる大作なので、持ち運びやすい電子書籍での出版も今後是非検討してもらいたいところである。いずれにしてもこの本が日本の音楽療法の幅をさらに広げることは間違いないであろう。

参考文献

アラン・タリー (1998/2017). 「ノードフ・ロビンズ音楽療法における転移と逆転移」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 198-257) NextPublishing Authors Press.

イーディス・ルクール (1998/2017). 「逆転移における審美性の役割:能動的 対 受動的な音楽療法の比較」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 173-197) NextPublishing Authors Press.

カーニー・アイゼンバーグ・グルゼダ (1998/2017). 「ガイデッド・イメジェリー・アンド・ミュージック(GIM)における転移構造」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 546-567) NextPublishing Authors Press.

ケネス・E・ブルシア (1998/2017 a). 「編者まえがき」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 19-24) NextPublishing Authors Press.

ケネス・E・ブルシア (1998/2017 b). 「逆転移のサイン」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 101-124) NextPublishing Authors Press.

ケネス・E・ブルシア (1998/2017 c). 「逆転移を明らかにし、取り扱うための技法」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 125-155) NextPublishing Authors Press.

ケネス・E・ブルシア (1998/2017 d). 「ガイデッド・イメジェリー・アンド・ミュージック(GIM)における転移の現れ」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 486-513) NextPublishing Authors Press.

ケネス・E・ブルシア (1998/2017 e). 「ガイデッド・イメジェリー・アンド・ミュージック(GIM)における意識のモード:ガイドするプロセスのセラピストの体験」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 579-621) NextPublishing Authors Press.

ケネス・E・ブルシア (1998/2017 f). 「クライエントのイメージの再イメージ化:ガイデッド・イメジェリー・アンド・ミュージック(GIM)における転移と逆転移を探求するためのひとつの技法」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 622-646) NextPublishing Authors Press.

ケネス・E・ブルシア (1998/2017 g). 「クライエントのイメージの再イメージ化:投影性同一視を探求するための技法」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 647-661) NextPublishing Authors Press.

コーラ・L・ディアス・デ・チュマセロ (1998/2017 a). 「無意識的に誘発される歌の想起:歴史的視点」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 401-436) NextPublishing Authors Press.

コーラ・L・ディアス・デ・チュマセロ (1998/2017 b). 「意識的に誘発される歌の想起:転移−逆転移との関連」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 437-462) NextPublishing Authors Press.

小宮暖 (2017). 「訳者まえがき」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 3-4) NextPublishing Authors Press.

ジョン・ペッリテッリ (1998/2017). 「ガイデッド・イメジェリー・アンド・ミュージック(GIM)における転移の自己分析」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 568-578) NextPublishing Authors Press.

スーザン・J・ハドリー (1998/2017). 「即興的音楽療法の二つの形式における転移の体験」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 300-343) NextPublishing Authors Press.

ダイアン・S・オースティン (1998/2017). 「こころが歌う時:個人の成人との即興的歌唱における転移と逆転移」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 377-400) NextPublishing Authors Press.

ドイツ音楽療法センター(n.d.) 「セラピスト養成講座」 https://www.gmtc-jp.com/ausbildung/ より取得

名古屋音楽大学(2016年6月28日)「ボニー式GIM実践家育成プログラム・レベル1を開催しました(6/23~27)」 http://www.meion.ac.jp/topi/ボニー式gim実践家育成プログラム・レベル1を開/ より取得

ベネディクト・B・スカイビュー (1998/2017). 「分析的音楽療法における音楽逆転移の役割」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 258-299) NextPublishing Authors Press.

ポール・ノラン (1998/2017). 「臨床的ソングライティングにおける逆転移」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 463-485) NextPublishing Authors Press.

リサ・サマー (1998/2017). 「ガイデッド・イメジェリー・アンド・ミュージック(GIM)における純粋な音楽転移」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 514-545) NextPublishing Authors Press.

ルイーズ・モンテッロ (1998/2017). 「トラウマを受けた個人との精神分析的音楽療法における関係性の問題」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 359-376) NextPublishing Authors Press.

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