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「癒しの音楽」について

「癒しの音楽」について

名古屋音楽大学音楽療法コース専任講師

猪狩裕史

癒しの音楽。音楽療法の実践、教育、研究に携わっている者には、これは不思議な存在である。特に音楽大学で様々な音楽に触れていると、その奥の深さ故に、ある特定の音楽が「癒しの音楽」として扱われることが、不思議に感じられる。音楽は人間の微妙で繊細な心の動きを映し出す。それが「癒し」なら、「癒しの音楽」というよりはむしろ人の心への「寄り添いの音楽」とでも呼ぶべきであろう。

そう言った意味で「寄り添いの音楽」は、カール・ロジャーズが提唱した、人が成長する上での必要な三つの条件の一つである「共感的理解」を超えるような潜在的な力を持つ。何故なら、音楽は、人間の複雑な、時に矛盾するような感情や理性の枠を超えるような心の状態さえも表現することがあるからである。そのような複雑な心の葛藤を持っている人が、音楽により理性を超えて心から理解されたという感情を持つことができるのである。しかし、ロジャーズもクライアントの変容はクライアント本人に内在する力であり、カウンセラーによる「癒し」とは述べていない。故に「寄り添いの音楽」も「癒しの音楽」ではない。

音楽療法の実践では、査定の過程でクライアントの好みの音楽を調べる。多くの場合、それが最も高い反応や取り組みレベル(エンゲージメント)をもたらすからである。また音楽療法研究でも、「クライアントの好みの音楽」(Client prefered music)を用いた「音楽療法」の介入が、独立変数として扱われる。故に私達音楽療法士が、特定の音楽を、医師が薬を「処方」するように「癒しの音楽」として「処方」することはない。実践においては、我々音楽療法士が「癒しの音楽」を自ら売り込むことは無い。

しかし「癒しの音楽」という言葉の響きとその性質から、「癒しの音楽」は音楽療法士が関係しているものと思われがちである。音楽療法士をしていると、「癒しの音楽」に関する質問をよく受ける。世間ではそう取られている一つの現れである。この為に、「音楽の奥深さ」を知っている音楽家からも、「癒す」ことの難しさを知っている医療関係者からも、音楽療法は「癒しの音楽」という訳の分からないものを使う「胡散臭い」職業なのではないかと思われていると想像できる。

しかし「癒しの音楽」は、音楽療法士とは全く関係のないものである。

ここで私は明確に述べておきたいのだが、音楽療法士は、「癒しの音楽」とは何ら関係がないということである。「癒しの音楽」とは恐らく音楽産業が作り商品として売り出した一つのジャンルなのであろう。故に私に「癒しの音楽」について聞かれても私はそれについて答えることは出来ない。「音楽療法とは無関係ですね」と答えるか、「あなたがそれを聞いて癒されるのであれば、それがあなたにとっての癒しの音楽です」と答える。「癒しの音楽」と音楽療法士は無関係である。

もし音楽療法士が「癒しの音楽」や「音楽の癒しの力」となどと言う言葉を使ってそのサービスを売り込んでいるのであれば、消費者として、またそのサービスを受ける人として、『「癒し」とはどういう意味ですか?』と聞き返すと良い。それをきちんと答えられるかどうかで、その音楽療法士がきちんとトレーニングを受けた音楽療法士かどうか分かるからである。我々音楽療法士は、専門家として自分のサービスに関する説明責任を有している。それができないということであれば、その人はきちんとした音楽療法士トレーニングを受けていない人の可能性が高い。

前述したが、音楽は人間の微妙で繊細な心の動き、時に矛盾するような感情や理性の枠を超えるような心の状態さえも表現する力がある。あなたにとってそれが寄り添いや励ましになるのであれば、それを聞くと良い。誰かに言われた「癒しの音楽」を聞く必要などない。音楽は非常に主観的なものである。万人に愛される音楽などない。かつて愛した音楽でさえも、時とともに色褪せることがある。それはあなた自身が成長しているからである。人生のその時々で、抱える葛藤も違う。なので、その時々であなたに寄り添い励ましてくれる音楽を愛すれば良い。

*このエッセイは、2018年2月21日の連投ツイートに加筆修正をしたものである。

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