日本における音楽心理療法の発展と可能性:シンポジウムからの考察

猪狩 裕史(名古屋音楽大学音楽療法准教授)

*この論文は、2019年度中に「名古屋音楽大学研究紀要」にて出版される予定ですが、その出版が2019年9月の日本音楽療法学会第19回学術大会で開催される音楽心理療法の自主シンポジウム開催までに間に合わないということが判ったので、個人のブログにて掲載します。

1.はじめに

 ウィーラー(Wheeler, 1983)によると、音楽心理療法には三つの実践レベルがある。それらは、(a) 活動療法としての音楽療法、(b) 再教育を目標とした内的志向の音楽療法、(c) 再構築を目標とした内的志向の音楽療法である。日本の音楽療法では活動志向の実践が多く、カウンセリング技術を要する再教育志向の実践や、クライエントの無意識を探索する再構築志向の実践は、海外には存在しても日本では殆ど見られない。しかしながら近年、ボニー式音楽とイメージ誘導法(以下ボニー式GIM)実践家育成訓練(名古屋音楽大学、2016年6月28日)や、「精神分析的音楽療法」セラピスト養成講座(ドイツ音楽療法センター、n.d.)が開催されたり、ブルシアが編纂した「音楽心理療法の力動」の本が翻訳されたりと、音楽心理療法に関する環境が整いつつある。そこで筆者は、この論文と同じタイトルである「日本における音楽心理療法の発展と可能性」という自主シンポジウムを、香川県高松市で2018年に開かれた(一社)日本音楽療法学会学術大会において企画し、音楽心理療法の主要アプローチの実践家を招き開催した。

このシンポジウムでは、音楽心理療法の四つのアプローチ(ノードフ・ロビンズ音楽療法、分析的音楽療法、ボニー式GIM、「大切な音楽」)が取り上げられた。これらは、ブルシア(1998/2017)が音楽心理療法に用いられる主要な三つの技法である歌(「大切な音楽」)、即興(ノードフ・ロビンズ音楽療法、分析的音楽療法)、音楽とイメージ法(ボニー式GIM)を用いている。本論文は、自主シンポジウムで語られたこれら四つの内容を要約し、その内容に基づき音楽心理療法の発展に必要な視点について考察する。

2.音楽心理療法の四つのアプローチ

2.1 ノードフ・ロビンズ音楽療法

自主シンポジウムの最初の話題提供者として、ノードフ・ロビンズ音楽療法士で名古屋音楽大学音楽療法講師の長江朱夏氏が、「ノードフ・ロビンズ音楽療法:クリエイティブな自己を解放する音楽アプローチ」と題して話をした(2018年9月)。このアプローチは、作曲家のポール・ノードフと、特殊教育家のクライブ・ロビンズにより作られたものである。このアプローチにおいて、まず大前提として、「誰しもが音楽的存在」であるという基本的信念があることが述べられた。このアプローチの創設期において、ノードフとロビンズは主に、言語表現能力を持たない子どもとの関わりを持っていたが、彼らの表現に即興音楽でアクティブに音楽創りを通して関わることで、子どもたちが言葉ではない、自由な音楽表現を通したコミュニケーションの可能性に気づいていくことが述べられた。つまりアクティブな音楽創りという過程を通して、子どもが本来持っていた自分の力や可能性に気づき、自分をより解放し成長へと向かう音楽中心的で人間主義的なプロセスが、このアプローチの中心にあるのである。故にこのアプローチにおいて、この音楽創りのプロセスそのものがセラピーなのである。

この治療原理を説明するのに長江は、アンナという視覚障害があり、日常生活能力はほぼ全介助を要する、非協力的で強情な一面のある子どもとノードフとロビンズの症例を紹介した。この音声データにおいて、アンナの「グッドモーニング」という発声から即興的に展開していった音楽的やり取りの中で、アンナが「非協力的で強情」な一面を超えてコミュニケーションをとる様子が聞かれた。この様子を、ブルシア(1998/2017)があげた心理療法における目標と比較して長江は、アンナがこのわずか1分程度の音楽的やり取りの間に多くの目標達成に向かう素地となる部分を表出させたと述べた。そしてこうした即興音楽のコミュニケーションの積み重ねにより、「自己へのより多くの気づき」や「感情や態度における変化」、「行動変容」、「対人関係のスキルの向上」、「健康な人間関係の発達」、「人生におけるより深い意味と満足」(ブルシア、pp. 26-27)という目標が達成されたと述べた。さらにこれが長江だけの考察ではないものとして、アンナの母親がのちに残した言葉が紹介された。病理学者でもあるアンナの母親は「アンナが幸せで自信を持っている様子をみるととても嬉しい。私たちが彼女の意向を間違って理解した時、今の彼女はためらわずに私たちを正す。それを気楽にできることが、今の彼女の人との関わり方を可能にしている」と述べ、それまでは人との関わりを持つこともその意欲もなかったアンナが、ノードフ・ロビンズ音楽療法を通して変化していった様子を紹介した。

日本における可能性という視点から長江は、このアプローチが非言語的な対象者に行われていたこと、また現在では高齢者や成人に対しても対象者領域が広がっていることから、日本における発展も可能性が高いことを述べた。ただしその発展に対する課題として、ノードフ・ロビンズ音楽療法士育成機関が日本国内に存在しないことを挙げた。

2.2 分析的音楽療法

次に分析的音楽療法士で国立音楽大学音楽療法講師の小宮暖氏が、「精神力動と音楽:分析的音楽療法の音楽家へのアプローチを通して」と題して話をした(2018年9月)。分析的音楽療法は、メアリー・プリーストリーにより考案されたアプローチであると紹介された。そしてその基礎概念に、フロイトが考案した精神分析から発展し広まった精神力動学派の理論があることを述べた。

分析的音楽療法の基礎である精神力動理論を説明するのに小宮は、意識の構造について説明し、無意識の層(我々が意識し得ない層)にある葛藤が、精神的人間関係的問題の根源にあることを述べた。その無意識の層にある葛藤を明らかにする上で、フロイトが自由連想法(思い浮かぶことを自由に述べていく)を用いたのに対し、プリーストリーはその代わりに自由即興を用いたと述べた。この即興について小宮は、ジャズや民族音楽といった音楽的規則にのっとり行うものではなく、誰にでも音が出せるような楽器を使い鳴らすことにより、そこに自分の心のありようや人間関係のパターンが映し出されていくと述べた。

さらに精神力動の概念として、転移と逆転移についても紹介をした。転移とは、クライアントが過去の重要な人物との人間関係のパターンを持ってセラピストに関わることであると述べた。例として、虐待を受けた経験のあるクライアントが、セラピストに対しても恐れを持ってびくびくとしながら関わることがあると紹介した。そしてこの関係のパターンは、即興演奏を行うときにも顕われてくると述べた。先の例になぞり、過去の虐待によりセラピストに対しても怖さという転移感情を覚えているクライアントであれば、楽器演奏においても様子を伺うように小さく鳴らすなどの反応が顕れることを紹介した。そして小宮はこれを音楽転移と呼んだ。

また小宮は、セラピスト側にも同様に反応が起こることがあり、それを逆転移と紹介した。それが音楽に顕れる例えとして、親から逃げるように即興演奏においても合わせようとするセラピストから逃げるような演奏をするクライアントに対し、セラピストが構造を作ろうと拍を強調することで、いつの間にかセラピストが規範を強制するようなクライアントの親の役割を知らずに行ってしまうという逆転移があることを述べた。そしてそれを、クライアント側から誘発された逆転移で「補足的逆転移」であると紹介した。またセラピストが過去の重要な人物との人間関係のパターンをクライアントに持って関わる古典的逆転移というものがあり、注意が必要であると述べた。分析的音楽療法においては、このような転移や逆転移の関係性のパターンに気づいていくことで、クライアントが自分を知るというのが治療原理であると述べた。

これらの治療原理がどのように分析的音楽療法の実践で活かされるかについて小宮は、自身の音楽家に対する症例を用いて紹介した。幼少期から音楽家を目指して来た人の中には、その時期に親から十分な養育経験が実感されずに、それがその人の演奏や音楽との関係に影響を及ぼしていることを紹介した。例えば否定感と共に育った人であれば、自分の音楽の価値を認められずに音楽をやっている意味を見失い、半ば義務的に続けている人がいる。また条件付き肯定、つまり親の言う通りにやっている時にだけ認められるような環境で育った人は、自分の感情や考えを外に出すことに自信を持てず、音楽に自らの感情を込められなかったり、指導者の言う通りにしかできなかったり、また集団においてはリーダーシップを取れなかったりすることがあると述べた。そしてその不安定な自己意識により、他者との比較に圧倒されたり、アンサンブルの中では完全に服従する、または逆に極端に反抗するといった反応として顕れると述べた。技術偏重志向や完璧主義といった態度、腱鞘炎を起こしているのに自分を痛めつけるまで練習をするような「懲罰的行動」も、この不安定な自己意識に由来すると述べた。

その上で小宮は症例として、音楽指導者でありながら音楽に対する感情が動かなくなった弦楽器奏者の女性との例を紹介した。この女性は、否定的な母親や、服従を強いる音楽教師の下で育ち、鬱になったこともあったと述べた。この女性が「自分自身のために音を出した経験が少ないのでは」と洞察した小宮は、二回目のセッションで「自分自身のために音を出す」ことをテーマで即興演奏することを促した。小宮とこの女性クライアントの即興演奏は小宮のピアノ伴奏により静かに始まり、クライアントが何ら技巧的な配慮もなく長い弓使いで演奏する弦楽器の音を、小宮のピアノ演奏が優しく抱きとめているようなものであった。この間、クライアントは涙を流しながら演奏をしていたということであった。この女性クライアントはその涙の理由が理解できなかったということであったが、それに対して小宮は、その経験を言語化できなくとも、音楽が心に触れたことそのものが大事であり、その感覚を味わうように促したと述べた。この音楽体験について小宮は、この女性が今までに触れたことのない心の奥底に響いた「音による自己受容の第一歩」だったのではないかと解説した。

分析的音楽療法士になるための訓練について小宮は、修士号を取っている人でなければ受けられないものであることを述べた。ニューヨークのプログラムは四段階に分かれており、まず自らも個人的な療法を受ける必要があること、その後相互セラピーという同じレベルにある訓練生同士がセラピーをお互いに行うこと、三から四段階では実際のクライアントを受け入れてセッションを行い、指導を受けていくというものであることを紹介した。また日本においては、ドイツ音楽療法センターで精神分析的な音楽療法士の育成が行われていることも合わせて紹介した。

2.3 ボニー式GIM

日本初のGIMフェローである小竹敦子氏は、「日本でのボニー式GIMの有効性と予防医学への可能性」と題して、アメリカの音楽療法士のヘレン・ボニーにより開発された受容的アプローチで、音楽を用いたイメージ法であるボニー式GIMについて、自分の臨床家としての成長の歴史を振り返りながら論じた(2018年9月)。「自分にとって音楽とは何か」という大学の授業における問いに、人生の時々に無性に聴きたくなるラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」が思い浮かんだことを述べた。またその衝動は「何か」を探求することで、ボニー式GIMでなぜ音楽を用いるのかを理解できるようになったと述べた。西洋クラシック音楽は、人間の不安や不安定な心を映し出し、その後調和へと導いてくれるものであり、小竹にとっては、このラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」を聴くことで、自分の人生で起こっている様々なことを音楽の中に投影させ、安定と浄化に導いてくれていたことに気づいた経験を述べた。

小竹によるとボニー式GIMとは、変性意識状態で、特別に構成されたクラシック音楽を聴きイメージを体験することで、その対象者にその時に必要な洞察へと導く経験を可能にするものであると述べた。それを行う具体的手順として、(a) プレセッション、(b) インダクション、(c) 音楽セッション、(d) ポストセッションという流れがあると述べた。プレセッションは、クライアントの背景を知り、そのセッションでの目標を立てる過程である。そしてインダクションでは、変性意識状態へと導くためにリラクゼーションを行う。その上でその時の目標にあった音楽プログラムをセラピストが選び、約30分の音楽プログラムの間、セラピスト(ボニー式GIMでは「ガイド」と呼ぶ)がクライアントと対話をしながら、クライアントの音楽によるイメージの旅路に付き添う音楽セッションを行う。そしてポストセッションにおいては、そのイメージの旅路に浮かび上がったものについて、セッションのテーマや目標と照らし合わせながら振り返りを行うと述べた。この過程での重要な視点として小竹は、プレセッションの段階でクライアントは既に自己の内的世界への探求が始まっていることであると述べた。一般的な芸術音楽鑑賞とは違い、自己洞察に向けた目的を持って音楽を体験することにより、音楽がその時に必要なイメージや洞察へと導いてくれる。また音楽プログラムの選択については、同質の原理(アイソ・プリンシパル)を用いて、その時のクライアントの情緒状態や課題にあったプログラムを選ぶことで、自発的な無意識からのイメージの想起がより一層高められ、そのイメージが無意識と意識のコミュニケーションの手段になると述べた。

無意識と意識の橋渡しになるイメージについて小竹は、視覚的、感覚的、聴覚的、体感的など様々な出現の仕方があると述べた。このようにボニー式GIMでは思考領域のみならず、様々な感覚器へ訴える側面があるため、心身症のような形でトラウマを身体に抱える人にも有効に作用すると述べた。この様にボニー式GIMでの経験は様々な感覚器に作用する側面があるため、音楽再生機器の選択は聴覚のみならず体感にも訴えるようなものになるように十分な配慮を要すると述べた。ボニー式GIMは、「頭・心・身体」の全ての側面に働きかけ、三位一体という統合をもたらすホリスティック(全人的)なアプローチであり、この統合を助けることで予防医学にもつながると述べた。小竹は、自身のクライアントが「ボニー式GIMによりずっと見つからなかったパズルのピースが見つかった」と言ったことを紹介したが、ボニー式GIMによる統合的な体験が、意識上言語的にプロセスするだけの心理療法ではなし得ない三位一体の経験が、このパズルのピースが見つかった感覚を促進したと考えられる。

2.4 「大切な音楽」

受刑者への音楽療法を実践している、武庫川女子大学音楽療法准教授の松本佳久子氏が、自身が考案したアプローチについて、「『大切な音楽』を媒介とした語りと沈黙:受刑者への音楽ナラティヴアプローチ」と題して話をした(2018年9月)。松本は、受刑者に対する音楽療法を始める際に何をすればいいのか思い悩んでいた時に受けたアドバイスの言葉である、「当たり前の会話をすればいいのだよ」という言葉が、彼女のワークの基盤になっていることを紹介した。しかしながら刑務所という環境や文脈において、「当たり前の会話」が難しいということを述べた。刑務所における教育が徹底するあまりに、被害者視点に立った贖罪の言葉が「立て板に水を流すごとく」語られるため、語り(ナラティブ)を通して本来の更生に必要な内省が十分にされない可能性について言及した。さらに松本は、文化人類学からのナラティブ・アプローチに対する批判として、「どのように」語られたかよりも「何が」語られたかに重きが置かれすぎていること、また戦争体験のような過酷な体験をした人の中にはそれについて語れるわけではない人がいることを紹介した。その上で松本は、アンデルセンの「言葉にならないその時、音楽は語る」という言葉を紹介し、自ら語らずとも音楽が本心を語ってくれるという側面を、自らのアプローチの仕掛け、手段、目標として用いていると述べた。

「大切な音楽」の具体的な手順として、概ね10回の治療期間の初期段階においては、音楽アンサンブル体験を行い、その後中期にそれぞれのメンバーの「大切な音楽」をグループで聞き、語ってもらうと紹介された。過去にとらわれず未来についても含めて自由に語ってもらい、その後グループでの話し合いを行うという手順である。

この治療原理を説明するのに松本は、ボーカロイドを用いたみきとPによる「小夜子」という楽曲を取り上げた受刑者の語りと、グループによる話し合いの症例を紹介した。この受刑者が持っていた自殺願望、その生い立ち、生きている感覚が乏しいネット社会に身を置いていた環境が、ボーカロイドにより無機質に歌われる音楽の歌詞の中に投影され、グループでの話し合いを促進させていた。そして自らが語らずとも共感や共有を可能にし、本来の更生に必要な内省のきっかけを与えたことを述べた。

2.5 シンポジウム内での質疑応答

このシンポジウムでは指定討論者に、ドイツ音楽療法センターの代表で「もう一人の自分と出会う:音楽療法の本」の著者である内田博美氏と、横浜カメリアホスピタルの精神科医師である山之井千尋氏を迎えて議論を深めた。まず山之井氏より、これらの療法が、どのような対象者に有効なのか、そしてこれらの療法を実践する人材育成をする上で、どのようなトレーニングが必要なのかという疑問が提示された。

分析的音楽療法士の小宮は、対象者について、このアプローチは即興体験から自己洞察する技法なので、対象者にはそれに必要な知的能力と、客観的に自己洞察をするための自我が必要であると述べ、神経症圏内の患者が対象になると述べた。またプリーストリー自身のワークを例に挙げ、言葉による表現能力が十分ではない子供に対しては、絵で描かせたり、即興の録音に合わせて踊らせたりするなどして、他の表現媒体を用いて感情の明確化や洞察を行なっていたと述べた。また分析的音楽療法士の実践家育成教育について、それにおいて最も重要なのは、自分がセラピーを受ける体験であることを紹介した。これを分かりやすく説明するのに小宮は、マッサージを例に挙げ、マッサージを受けてみて初めてどれほどの力で押すべきなのか分かる、分析的音楽療法でもセラピーを受けてみて感情を表に出すこと、それを受け止めてもらうことがクライアントにとってどのようなことなのか初めて理解できると述べた。また精神力動理論とそれに伴う転移と逆転移の力動を自らのセラピーや教育訓練を受けて学ぶ必要があると述べた。

小竹は、ボニー式GIMも分析的音楽療法同様に、言語能力とイメージからの分析や情報整理をするために必要な知的能力が必要になると述べた。また近年では子供やグループへの適応が行われていることも紹介した。トレーニングについては最低三年かかるトレーニングが課せられていると述べた。

長江は、ノードフ・ロビンズは言葉の代わりに音楽を用いることに重きを置かれて発展したアプローチであると述べ、対象者領域は、子供から言語能力のある成人までと幅広く対応できるアプローチであると述べた。また言葉の代わりに音楽を用いてコミュニケーションをするために、それに必要な音楽的能力(臨床即興スキルと音楽リソース)を身につけることにトレーニングの重きが置かれていると述べた。子供の変化が全て音楽の中で起こるという高度な技法のため、それに必要な知識と技能が求められ、修士課程以上の学歴が必要となると述べた。またノードフ・ロビンズ音楽療法特有のインデックスという記録と分析法の習得、それを研究としてまとめる能力も必要であり、育成には最低でも一年から二年のトレーニングが必要になると述べた。

更に山之井氏は、松本の「大切な音楽」のアプローチにおいて不向きな対象者について、またこのアプローチでブレイクスルー(転機)となったセッションについて尋ねた。これに対し松本は、このアプローチでは言語化に必要な能力が求められる他、このアプローチの対象者に対する侵襲性に言及し、「大切な音楽」を「表現したい」という意欲や心の準備が醸成している必要があることを述べた。また適用が比較的困難な対象者としては感覚性失語、あるいは適用に配慮を要する対象者としては統合失調症患者を挙げた。ブレイクスルーの瞬間について松本は、「音楽を聴いた瞬間」に空気が変わることを挙げた。これは、自分の自由で音楽を聴くことができず、外部からの刺激や内部での行動も厳格に統制されている日本の刑務所という特別な環境だからこそ起こり得るものであるとも述べた。故に音楽療法士としてできることは「外部から音楽を持ってくることくらい」であると謙遜して述べた。

 ドイツ音楽療法センターの代表である内田博美氏は、精神力動の視点から小宮に対して無意識が意識化される過程を示す事例について尋ねた。それに対して小宮は、ベートーベンの楽曲に見られる、「急激な音楽の変化」が苦手というピアニストのクライアントとの事例を紹介した。そのクライアントに対して、「急激な変化」と題した即興体験を行ったところ、幼少期の生活環境の急変や、ピアノの先生により演奏曲を急に変えられた経験など、「急激な変化」に対する自分の感情が想起され、ベートーベンの急激な音楽の変化によりそれらが思い起こされていたことへの気づきにつながったという事例を紹介した。またそのクライアントは次のセッションには「ベートーベンが好きになった。私を表現する音楽だ」という気づきにつながったという後日談も紹介した。

3.考察

 「日本における音楽心理療法の発展と可能性」と題し、ノードフ・ロビンズ音楽療法、分析的音楽療法、ボニー式GIM、「大切な音楽」というアプローチの実践家を招き、自主シンポジウムを実施したが、このシンポジウムを通して日本の音楽心理療法の発展と可能性を考える上で、いくつかの視点が明らかになった。中には根源的な疑問も浮かび上がった。下記に述べる視点は、その論点を明確にするために独立して論じるが、全てが相互に関係している。それらの論点とは;(a) 言語の位置づけ、(b) エビデンスとしての音楽の活用、(c) 育成、(d) 音楽なのか、音楽心理療法なのか、音楽療法なのか、という点である。

3.1 言語の位置付け

 音楽心理療法を語る上で、言語と音楽の比重には差異がある。ブルシア(1998/2017)はこれらを四つに分類している。それらは、(a) 心理療法としての音楽、(b) 音楽中心心理療法、(c) 心理療法における音楽、そして(d) 音楽を伴った言語セラピーである(p. 28)。それぞれの詳細は文献を参考にしていただきたいが、簡単にいうと、心理療法やカウンセリングに補完するように音楽が使われるというものから、音楽体験そのものが心理療法の中心となるという考え方である。

小竹は、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」が、自分の人生で起こっている様々なことを音楽に投影することを可能にし、安定と浄化に導いてくれていた自身の経験を述べた。これは、音楽そのものに安定と浄化へと導く潜在能力があることを示唆している。また小竹は、イメージの出現の仕方の多様性に言及し、音楽再生機器の選択には十分な配慮を要すると述べていたのも、音楽とそれによるイメージ体験そのものに力があることを示唆している。しかしながら同時に小竹は、育成トレーニングには最低三年かかることや、対象者は言語能力と知的能力が必要であることに言及し、ただ音楽によるイメージ体験が行われれば心理療法並みの効果が得られるわけではないこと、また治療プロセスには言語的な役割が重要になることを示唆している。

長江が紹介した症例においても、確かに言葉を用いたやり取りはないものの、ブルシアが挙げた心理療法における目標達成に向かう素地となる部分が引き出され、変容と成長につながった。従来の心理療法やカウンセリングのような言葉でのやり取りを行わず、セラピストとのアクティブな音楽創りを通してクライアントは心理的成長を成し遂げたことになる。もちろん単純にアクティブな音楽創りをすれば良いということではなく、ノードフ・ロビンズ音楽療法士は、先に小宮が紹介した転移や逆転移について、熟知しながら関わっている(タリー、1998/2017)。またタリー(1998/2017)は、成人男性に対するノードフ・ロビンズ音楽療法を用いた症例を紹介しているが、この症例において、言語を用いながらも、ノードフ・ロビンズ音楽療法アプローチの音楽体験そのものが心理療法の中心となる原理が描かれている。

 また松本の「大切な音楽」のアプローチにおいても、自らが多くを語らずとも、自分の思いを「大切な音楽」を通して投影しグループと共有する、そしてグループメンバーの語りの過程に、内省に必要な共感や思いの共有を可能にさせていた。このプロセスに意義があり、そこには必ずしも本人による言葉が存在しないことを述べた。松本は謙遜し、自分の役割はその場に彼らの大切な音楽を「持ってくることくらい」であると述べていたが、そこにも「大切な音楽」アプローチの「言語の位置付け」が反映されている。実際にセッションの場において、言語的な内省が受刑者から直接なくともその受刑者が変化を見せるのは、松本の別の症例に存在している(2015)。その症例の少年受刑者は、大切な音楽のグループでの語りと共有がきっかけとなり、法務教官や精神科との面談を希望し、彼に本当に必要な「語り」をはじめ、過去の自らの被害と加害について告白するように変容していったとされている。

 小宮の分析的音楽療法においては、言語的プロセスが重要でありながらも、セラピストとの即興演奏における関係性に、クライアントが現在の心の問題の根源となる過去の重要人物との関係を投影しそれに気づいていくことで洞察を得るといった面では、音楽の体験は重要な役割を果たす。小宮が紹介した症例においても、「自分自身のために音を出す」という即興体験そのものが、このクライアントの心の奥底に響き自己受容の第一歩につながったということからも、音楽体験そのものが治療的役割を果たしたことは大きい。

 このように音楽心理療法の中においても、音楽との関係性の中で言語の位置付けは多様なものである。今後の日本における音楽心理療法の発展に向けた検討課題においては、音楽心理療法において実際に効果を上げているものは何なのか、音楽体験そのものなのか、音楽体験を共有することなのか、言語的対話による内省や洞察なのか、またはそのほかの要素なのか、明らかにする必要がある。その一つの方法として、質的研究法を用いて、これらの音楽心理療法が効果を上げた人へのインタビューを行い、何が治療における転換的瞬間(ブレイクスルー)に貢献したのかを明らかにする必要がある。

3.2 エビデンスとしての音楽の活用

今回の自主シンポジウムにおいても、強く印象に残ったのは、音楽が流れた瞬間に、それまで言葉でのみ語られていた治療プロセスに色が現れ、生命が吹き込まれた様に感じられたことである。松本が「大切な音楽」アプローチを用いたセッションでブレイクスルー(転機)となった瞬間について、「音楽を聴いた瞬間」に空気が変わることを挙げた通り、今回のシンポジウムでも同じようなことは見られた。長江が音源として紹介したアンナの症例(“Anna” in Nordoff & Robbins, 2007)においても、それを聴くことにより、音楽がどのように「感情や態度における変化」や「行動変容」へ誘い、「対人関係のスキルの向上」や「健康な人間関係の発達」に導いていったか、よく理解することができた。またそのアクティブな音楽創りの過程そのものが、「人生におけるより深い意味と満足」をアンナに与えたという、「心理療法としての音楽」という側面について深いレベルで理解を可能にした。

松本のクライアントが取り上げた「大切な音楽」は、人間ではないボーカロイドという合成音声により歌われるテクノミュージックであった。それは無機質で機械的に作り込まれた人間性の薄い音楽の中で、人間ではないボーカロイドが自殺願望を歌うというものであった。その歌に、自分の感情が薄らいでいき自傷を繰り返したことや、ネット社会で繋がる人を重ねていった話し合いに発展したことは、ボーカロイドが歌う彼にとっての「大切な音楽」を聴くことで理解することができた。

小宮が分析的音楽療法の症例として紹介した即興演奏は、特に印象に残った。否定的な養育環境で育ち、音楽に対して感情が動かなくなった弦楽器奏者に「自分自身のために音を出す」という即興で、クライアントが鳴らす音が、小宮のピアノ伴奏により優しく抱きとめられているのは、私にとってとても美しく感動的なものとして響いた。小宮の伴奏は、まるで無償の愛で赤子を抱きしめる母親の優しさや慈しみにあふれているように感じられた。音楽が象徴的に、クライアントに必要な無償の愛で抱きしめられることを可能にしたと思われる。クライアント自身も涙を流しながら演奏をしていたと報告されたが、その経験がいかに重要で、クライアントにとって言葉にできないような心に触れる経験をもたらしたのかは、音楽を聴くことでよく理解することができた。

質的研究法の一つに、アートベース・リサーチ(Arts-based research)というアプローチがある(Viega & Forinash, 2016)。これは研究のあらゆる過程(データ収集、分析、結果の公表)で芸術を介在させるというものである。これは普段音楽療法士が日頃の実践の中で行なっていることでもあろう。今回の自主シンポジウムでも明らかになったが、音楽心理療法の効果やその過程が正当に評価され理解されるには、音楽の存在は欠かせない。自主シンポジウムでも共通して直接的、または間接的に述べられたことだが、音楽が言葉の代わりを果たし、「言葉にならないその時、音楽は語る」のであれば、音楽心理療法の効果を評価するのに音楽がないのは片手落ちである。音楽そのものをエビデンスとして積極的に捉え、信頼性の高い手続きを踏んだ研究を行う必要がある。またそのエビデンスとしての音楽を提示する方法(例、音声やビデオデータを含んだ電子書籍、学術研究発表時間の十分な確保、など)を、より積極的に検討する必要がある。

3.3 育成

ノードフ・ロビンズ音楽療法、分析的音楽療法、ボニー式GIMのいずれのアプローチも、世界的には上級音楽療法アプローチと呼ばれ、大学院以上のレベルに属される(長江、2018)。今回の自主シンポジウムを通じても、改めてそれぞれのアプローチにおける高度な専門性が明らかになった。ノードフ・ロビンズ音楽療法は、そのアプローチの音楽中心主義的な姿勢を反映するように、言葉の代わりに音楽を用いてコミュニケーションをするために必要な音楽的能力(臨床即興スキルと音楽リソース)にトレーニングの重きが置かれている(長江、2018年9月)。分析的音楽療法では、精神力動に基礎を置いていることから、自らその力動を体験する必要があり、それはトレーニングにも組み込まれている(小宮、2018年9月)。松本の「大切な音楽」のアプローチは、まだアプローチとして確立していないが、今後そのアプローチの実践家育成の過程において「大切な音楽」を他人と共有し、それについて話すことの意味や重さを、セラピスト自身が体験する必要があることが考えられる。誰しも大切なものがあり、中には人には言わず大切にしまっているものもある。そんな大切な音楽を共有すること、またそれを受け取ることを経験することは重要なトレーニングプロセスになるであろう。またどこまでクライアントの気持ちを代弁して言語化し反映するのか、どこまでをただ沈黙して一緒にその音楽をクライアントと共有するのかも、自ら体験して学ぶことが必要になるかもしれない。

現在ボニー式GIMと分析的音楽療法は、日本において育成トレーニングが始まっている(ドイツ音楽療法センター、n.d.;名古屋音楽大学、2016年6月28日)。今後はノードフ・ロビンズ音楽療法士の国内での育成、また「大切な音楽」のアプローチの確立と実践家育成トレーニングプログラムの確立が期待される。その過程で、小宮が指摘した、そのアプローチを自らが体験することをどれほどトレーニングに加えられるかは、重要な側面であると考えられる。特に音楽心理療法の力動の中には、一般の心理療法のようなクライアントとセラピストという二項関係ではなく、クライアント-音楽-セラピストという三項関係が存在する。小宮は注意すべき逆転移として古典的逆転移について言及したが、セラピストがクライアントに対して持つ逆転移のみならず、音楽への逆転移にどのように気づかせていくかは、育成を行う側の課題でもある。

それと同時に、受講者のプライバシーへの配慮が必要になる。松本は大切な音楽アプローチの侵襲性について言及したが、大切な音楽を共有することや、それぞれのアプローチを育成において体験することが、場合によっては受講者のプライベートで脆い部分を露わにしてしまう可能性がある。どのように受講者のプライバシーに配慮しながら、体験を通した学びをしてもらうのかが課題である。一般的に心理療法士の育成では、育成機関外で心理療法を受けることが通常であるが、音楽心理療法の創成期である日本において、音楽心理療法を外部で受ける場所が少ないというのも課題の一つである。分析的音楽療法の育成のように、受講者同士のセラピーを行うのも一つの方法であるが、その過程でどのようにしてそれぞれが自らのプライバシーを守りながらも、おざなりにならずに音楽心理療法が持つ力を体験することができるか、その方法について検討が必要である。

3.4 音楽なのか、音楽心理療法なのか、音楽療法なのか

この音楽心理療法のシンポジウムを終えて、最も難しく根幹に関わる疑問に行き着いた。それが「音楽なのか、音楽心理療法なのか、音楽療法なのか」という疑問である。音楽にはそもそも療法的な力が内在しているのは、日本音楽療法学会の定義を読んでもわかる。心理的な働きについては、小竹がラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」を聴くことで体験した、音楽の中に自分の中の葛藤が映し出され安定と浄化へと導かれるというのが一つの例である。松本はブレイクスルー(転機)となった瞬間について、「(クライアントが自分にとっての大切な)音楽を聴いた瞬間」と述べた。つまり音楽、またはその体験そのものに既に治療的な働きがあるということである。もしかすると、それが芸術音楽のそもそもの役割なのかもしれない。それではクライアントにどの程度のニーズや機能レベルがあれば、音楽のみで解決し、どの程度であれば音楽心理療法が必要になるのか、その線引きも必要になるかもしれない。

そしてもう一つの疑問は音楽心理療法なのか、音楽療法なのかということである。この自主シンポジウムを企画した当初、私は、音楽心理療法はウィーラーのいう再教育、再構築レベルの実践で、言語介入を含んだ上級アプローチという位置付けで認識していた。それ故に意図して「音楽心理療法」という、精神療法やカウンセリングを連想させる言葉を用いて、学部レベルでは教えられないレベルのアプローチであることを暗示していた。しかしながら、今回取り上げられたアプローチはいずれも、その関与の程度に差はあれども、全て「音楽を体験すること」を含み、その影響力の範囲は、心理療法で主に扱う思考や情動を言語的に理解するという範囲を超えていた。いずれのアプローチも音楽の経験や非言語性を用いて、身体、思考、情動全体を統合していくアプローチであった。これは小竹が述べたボニー式GIMの三位一体の考え方と通じる。小宮の紹介した分析的音楽療法の症例においても、「自分自身のために音を出す」即興をセラピストと共に行うことにより、心の奥底に触れる経験を可能にしていた。松本の「大切な音楽」アプローチでは、グループメンバーの語りを通して共感や共有することを可能にしているが、その中心にあるのは自分の思いを投影する「大切な音楽」にある。確かにそれぞれのアプローチは精神力動や、人間主義、ナラティブといった基礎概念を根底に持ってはいるが、同時にいずれのアプローチも音楽中心的なアプローチである。ブルシアのいう「心理療法としての音楽」、「音楽中心心理療法」というものであるが、音楽を体験すること、そしてその音楽の療法的な力が中心に用いられるアプローチにおいて、わざわざ「心理療法」に軸足を置く音楽心理療法という呼称を使う必要はなく、音楽療法と名乗っていってもいいのではないかと思う。事実、長江の紹介したノードフ・ロビンズ音楽療法は、音楽創りのプロセスそのものがセラピーであり、つまり「心理療法としての音楽」が治療の中心であり、自らをわざわざ音楽心理療法アプローチとは述べてはいない。この四つのアプローチが、音楽心理療法に軸足を置くのか、またはその独自性の中で音楽療法の上級技法という位置付けで深化発展していくのか、そのアイデンティティの明確化が必要である。

4.結語

 この自主シンポジウムは、再教育、再構築を目標とした内的志向の音楽療法が発展していく創成期の日本において、大変意義のあるものであった。四つのアプローチの実践家に加え、精神科医と育成家を招き討議をできたことそのものが、今後の発展への第一歩であった。本論で提起された課題や、それぞれの参加者の考察をもとに、継続的に対話を続け、さらなる発展へとつなげたい。

参考文献

Nordoff, P., & Robbins, C. (2007). Creative Music Therapy: A Guide to Fostering Clinical Musicianship (Second Edition: Revised and Expanded). Gilsum NH: Barcelona Publishers.

Viega, M., & Forinash, M. (2016). Arts based research. In B. L. Wheeler & K. M. Murphy (Eds.) Music therapy research. Barcelona.

Wheeler, B. L. (1983). A psychotherapeutic classification of therapy practice: A continuum procedures. Music Therapy Perspectives, 1(2), 8-12.

アラン・タリー(1998/2017)「ノードフ・ロビンズ音楽療法における転移と逆転移」ケネス・E・ブルシア編集「音楽心理療法の力動〜転移と逆転移をめぐって〜」(小宮暖訳 The dynamics of music psychotherapy)より(pp. 198-257) NextPublishing Authors Press.

ケネス・E・ブルシア(1998/2017)「音楽心理療法への導入」ケネス・E・ブルシア編集「音楽心理療法の力動〜転移と逆転移をめぐって〜」(小宮暖訳 The dynamics of music psychotherapy)より(pp. 26-41) NextPublishing Authors Press.

小竹敦子(2018年9月)「日本でのボニー式GIMの有効性と予防医学への可能性」第18回日本音楽療法学会学術大会で行われた自主シンポジウムより 香川県高松市

小宮暖(2018年9月)「精神力動と音楽:分析的音楽療法の音楽家へのアプローチを通して」第18回日本音楽療法学会学術大会で行われた自主シンポジウムより 香川県高松市

ドイツ音楽療法センター(n.d.) 「セラピスト養成講座」 https://www.gmtc-jp.com/ausbildung/ より取得

長江朱夏(2018)「音楽中心音楽療法の特別トレーニングプログラム実態調査」名古屋音楽大学研究紀要第37号、pp. 75-86

長江朱夏(2018年9月)「ノードフ・ロビンズ音楽療法:クリエイティブな自己を解放する音楽アプローチ」第18回日本音楽療法学会学術大会で行われた自主シンポジウムより 香川県高松市

名古屋音楽大学(2016年6月28日)「ボニー式GIM実践家育成プログラム・レベル1を開催しました(6/23~27)」http://www.meion.ac.jp/topi/ボニー式gim実践家育成プログラム・レベル1を開/ より取得

松本佳久子(2015)「非行少年へのグループアプローチ:「大切な音楽」についての語りによる意味生成と変容」森岡正芳編著「臨床ナラティヴアプローチ」(pp.179-190) ミネルヴァ書房  

松本佳久子(2018年9月)「「大切な音楽」を媒介とした語りと沈黙―受刑者への音楽ナラティヴアプローチ」第18回日本音楽療法学会学術大会で行われた自主シンポジウムより 香川県高松市

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