はじめまして Greeting!

私は現在名古屋音楽大学にて音楽療法の専任講師をしている猪狩裕史と申します。

My name is Yuji Igari, a full time lecturer at Nagoya College of Music.

音楽療法というのは、非常に奥深く、時に分かり難いものです。音楽療法のフィールドは多岐にわたります。その効果についても、日々様々な方法や視点で検証されています。また音楽療法を理解するには、その根底となる哲学的思想を持たなければなりません。どの視点から音楽療法を語るのかにより、その論調も全く変わります。それ故か、音楽療法というものが、つかみどころのない印象を持たれたり、胡散臭い感じを持たれたり、実践している人が自らもその実践に違和感を感じたりするのかもしれません。

Music therapy is very deep and sometimes difficult to comprehend.  The field of music therapy is very vast.  Its effects are examined daily in various ways from various perspectives.  Also, in order to understand music therapy, one must have good understanding in theoretical and philosophical foundation in therapy.  Depending on which foundation the therapist stands upon, the way he or she talks sounds entirely different from other music therapists.  Because of there premises, some may think music therapy is difficult to grasp and other may think it is fishy.  Even some practitioners can be unsure about what they are doing.

現在私は大学で音楽療法を教える仕事をしています。その過程では、音楽療法を構成する要素に触れる機会がより多くあります。この教育の過程で知り得た情報や、それらに対する自分の思索を、このサイトを通して発信することは、音楽療法の普及や理解の促進において意義のあることではないかと思う様になり、このサイトの立ち上げました。

I am currently in the position of teaching music therapy in college.  In the process of teaching (and preparing for classes), I have more opportunities to be exposed to the elements of music therapy.  I launched this site to introduce those information and my insights about them in hope it would contribute and advocate the better understanding in music therapy.

ただあくまで個人的な思索やメモとして、ここでの執筆を行ないますので、定期的な更新を行う訳ではありません。頻繁に更新をすることもあれば、それが滞ることもありますので、あらかじめご了承ください。

However, the insights here are entirely personal and sometimes are fragmented ideas.  Also I am not plan to post the content at regular basis.  Sometimes I would have a lot to say while not much in other times.  I would appreciate your understanding.

また個人的な思索ですので、ここで表現される内容は私個人のものであり、私が所属する団体とは一切関係ありません。こちらの点についてもご理解頂く様にお願い致します。

Also my opinions here are representation of my own philosophy and have nothing to do with the organizations I belong to.  I would appreciate your understanding in it as well.

それと私の思索についてご意見を頂ける様にコメント欄も設けますが、botによる自動書き込みの様な広告が入ったりするので、皆さんからのご意見がすぐに反映されない設定にしております。ご了承ください。また公開することが必ずしも双方の利益になり得ないと私が判断する様な書き込みについては、公開せずに非公開の形で連絡を取らせて頂くことがあります。そちらもご了承ください。

Lastly, even though I set up the “comment” area, your comments may not reflect in the page immediately.  I would mainly like to avoid bots from putting all the ads and links in the area.  Also I would like to avoid publishing the comments that would not bear fruitful discussion for us all, in which case I will contact the person privately individually.

それではここでの情報発信が、私以外の方にも実りあるものになることを願っています。

I hope this blog would bring a lot of fruitful discussions for us all

猪狩裕史 MS, MT-BC

Yuji Igari MS, MT-BC

yigari@musictherapy.works

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「もし世界平和を望むのであれば、…」(ボーリング、2014) “If you want world peace, …” (Borling, 2014)

This is what I wrote in my personal Facebook post in 2014. August 6 is a good day to think about world peace.

2014年に、自分のFacebookに投稿したものをこちらにも載せておきます。今日8月6日は、世界平和について考える上で重要な日なので。

With permission from my mentor Professor Jim Borling, I would like to share what I learned from the interview I conducted for the Community Mental Health Counseling (CMHC) class.

許可を得ることが出来たので、コミュニティカウンセリングの課題で行った、恩師のジム・ボーリング教授へのインタビューから学んだことをシェアしたいと思います。

As a future lecturer in college-level education, I was looking forward to hearing how I could contribute from the educational setting to the welfare of society since this is the assignment for CMHC.

コミュニティカウンセリングの課題でもありましたし、また将来大学レベルで講師をする身として、教育機関を通して社会福祉に自分がどのように貢献出来るかを聴けることを期待していました。

However, the insight came out from him was more micro level, introspective endeavor.

しかしながら、彼から発せられた言葉は、ミクロなレベルからの、内的志向による努力によるものでした。

Prof. Borling stated, “In order for the society to change, it has to start from here,” pointing to himself.

ボーリング教授は、「社会が変化する為には、ここから始まらないといけないんだよ」と自分を指差しながら言いました。

Since Prof. Borling has long years of experience of working with those who abuse substance, I asked, “How can you, as a clinical music therapist and a professor, affect the change the societal view of substance?”

ボーリング教授は、薬物中毒のある患者との長年の経験があるので、こう問いかけてみました。「臨床音楽療法士として、また教育者として、どの様に社会の薬物に対する見方を変えられると思いますか?」

He said, “As a human-being and a music therapist, (it is) to be vulnerable, to find strength in weakness, to emotionally honest, to listen, to resist being an expert.”

彼の答えは、「人として、また音楽療法士として、脆い自分を認めること、弱さの中に力を見つけること、感情に正直であること、よく聴くこと、そして自分が専門家振ることに抵抗すること」することでした。

He further stated “The archetypal male has many sides, not just one, many sides include being compassionate, vulnerable, and willing to compromise.”

彼は更にこう付け加えました。「典型的な男性像の中には、本来多くの側面がある。一つだけではない。愛情深くあること、脆くあること、そして妥協すること」

His implication was such that since the social expectation often would not allow us to display vulnerability and weakness, some people would use or abuse substances to deal with the social pressure.

彼が示唆したことは、弱さや脆さを露呈することを許容しない社会とそのプレッシャーが、薬物への逃避する人を生み出しているということでした。

Then I further asked, “So then how can we change the societal norm or expectation?”

そこで私は「それではどのようにすればその社会常識や社会の期待を変えられるのでしょう?」と尋ねました。

He replied, “What I can do to change the societal norm is I can change me.”

彼の答えはこうでした。「社会常識を変える為に自分が出来る事は、自分を変えることだ」

He further elaborated his point with two aspects. He stated “One is a model to show vulnerability and weakness for someone to observe.”

「一つは、自分が手本となり弱さや脆さを見せる事」

He also stated “Changing my perception of me also changes my perception of the world. If I change myself, then I see things differently. If I see things differently, I act differently. I contribute to the collective consciousness of culture.”

更に「自分に対する見方が変われば、世界に対する見方も変わる。もし自分が変われば、他の物への見方も変わっていく。物の見方も、自分の行動も変わっていく。そしてそれは文化全体の思考変化へと貢献する事になる」と。

“But” he said, “it has to start from me.”

「でも」彼は続けて、「全ては自分自身から始まらないといけない」と言いました。

He stated, “If you want world peace, we need peace in the country, neighborhood, home and in the heart. So until I am in peace with myself, I can not help world peace.”

彼はこうも言いました。「もし世界平和を望むのであれば、国内の平和が必要だ、その前にご近所との、家庭内の、そして自分の心の中の。自分の心の中が平安でなければ、世界平和は望めない」

I feel fortunate to have him as my mentor. I would like to carry his message regardless the size of the context I work at.

僕は彼を師として学ぶことが出来て良かったと思います。そして彼のメッセージを、どのような場面で働くとしても心に持っていきたいと思います。

ジム先生と私(Jim Borling and me)

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「美」「価値」「意味」に関する一考察

*これは2019年6月22日に行った一連のツイートを、一部加筆修正をしてブログ化したものである。

妻が紹介してくれた漫画の中で、弟が生まれた時を回想し主人公が言った台詞が印象的であった。それは

「人は生まれてくるだけでいい」
「価値のない人なんていない」

本当にその通りである。生産性があってもなくても、競争に勝っても負けても、障害があってもなくても、それらは表面的なことであり、誰もが価値がある尊い存在だと私は考える。


私も赤ちゃんが大好きである。その無垢で柔らかな存在に、命の美しさを感じる。

「そこにいるだけでいい」

私は息子の出産に立ち会った時に、今まで経験したことのない愛と、その美しさを感じ他のを鮮明に覚えている。またその愛と美しさにより、自分の人生の意味や価値を感じた瞬間でもあった。

「ああ、私の命はここに繋がるためにあったのだな」と。

マズローも、生きる意味の一つにこういった美しさを見出すことを挙げています。この美しさがあるからこそ、私は生きられる。そう強く感じる。


私達は、人間社会が強調する生産性や社会成功という価値に目を奪われ、人の命をもその様な価値で評価しがちである。しかし人の命には根源的な美が宿り、それだけで価値のある存在だと私は考える。

私は音楽療法という仕事で、障害のある人と長く関わってきた。音楽という美的な体験を通して、障害のある人の中に宿る本質的な美しさが輝く、そして瞬間に立ち会えるのは、他に代え難い尊いことである。その美しい時間は、本人だけでなく家族や周りの人にも意味があり、喜びにもなり、価値のある経験となる。

特に生まれ持って障害のある人の場合、音楽療法を含めたどんな医療においても、その障害が治る訳ではない。でも音楽が、その人の根源的存在の美しさ(ノードフロビンズ音楽療法で言う「ミュージックチャイルド」にも包括されるものだと私は考える)を引き出し、生きる意味を再確認させてくれる。このように美しさに触れることは、生きる意味を再確認させ、生きる原動力になると考えられる。

逆に、このような美しさや豊かさ、公正さや遊びなど、マズローが言う「メタニーズ」が満たされないと、つまり生きる意味を見出せないと、人は精神的な病をきたすと言われている。

生産性や社会的成功ではなく、美しさや豊かさ、公正さや遊びなどを通して輝く人の本質的で根源的な美しさに目を向けることが、今の世の中に必要ではないだろうか?

今度赤ちゃんを見かけたら感じてみてほしい。

「なんてかわいいのだろう!」

生産性も社会的地位もないけど、愛おしく尊い存在。根源的な美しさを放っているのが赤ちゃんである。そしてその美しさは全ての人に宿っている。もしそれが見えないのであれば、それは人間の社会的なフィルターが影響している可能性がある。

美しさを曇らせる人間の社会的フィルターを外すためには、自分の根源的な美に触れることです。楽しいこと、ワクワク面白いこと、美しく感動すること。それらが自分の根源的な美に触れる方法である。美味しいものを食べる、音楽や芸術に触れる、スカイダイビング!生産性ないけどそれでいい!

ちなみに音楽療法は、一人ではその様な自分の根源的な美に触れられない人(例、障害がありサポートが必要な人、精神的にどん底にいる人、社会的フィルターが分厚過ぎる人、など)が対象になる。そして音楽を用いた関係性を通して、根源的な美しさに触れて、生きる意味と生きる価値を見出し、生きる力を高めていくことである。

このエッセイで伝えたかったのは、「人は本来的に美しく価値ある尊い存在」であるということで、「その根源的な美しさに触れること」が重要であるということ。そしてこの根源的な美(命)に価値を見出せない人は、社会的フィルターによりその美を見るレンズが曇っている可能性があること。「存在の美に触れる方法」には、「一見意味のない芸術や遊び」や「美的経験をすること」が重要であり、それが「生きる意味」や「原動力」になることである。そして音楽療法とは一人でその「美」に触れられることが出来ない人が対象となるということである。さあ美に触れに出かけよう!

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「勇気を持って創造的に!」:311にクライブ・ロビンズを思う(猪狩裕史)

“Be creative, courageously creative!” : Remembering Clive Robbins on 311

今日は3月11日です。東日本大震災から9年の月日が流れました。当時私たち家族は仙台で被災をしました。

当時の状況を私は「the ミュージックセラピー vol. 19」で回想していますが、その中にクライブ・ロビンズ先生から寄せられた言葉を載せています。ご存知の通りクライブ・ロビンズ先生は、ノードフ・ロビンズ音楽療法の創設者の一人で、私が尊敬する音楽療法士の一人です。

そのthe ミュージックセラピー vol. 19にも載せた、震災後にクライブ・ロビンズ先生に問い合わせた時のことを、ここにも載せておきたいと思います。当時の文章から一部加筆修正を加えています。

音楽の力を信じる(Faith in music)。そして「勇気を持って創造的に(Courageously creative)」!

私も余力が出て来たら、もっと多くの人に音楽による支援をしていきたいと思っています。しかし今回の震災の規模を考えると圧倒されそうになります。特に津波により全てを失ってしまった人、目の前で愛する家族や友人、故郷が流されて行くのを目の当たりにした人、思い出の詰まった故郷の変わり果てた姿に向き合わなければならない人。彼らのことを考えると、体の一部がわしづかみにされて奪い取られる様な感覚になります。私に何が出来るだろう?音楽で何が出来るだろう?自分は心のケアをする様なカウンセリングの能力もありません。自分の無力さを感じそうになります。

私はこのように音楽療法士として困難に直面する時はいつも、『クライブ・ロビンズ(Clive Robbins)さんならどうするのだろう?』ということを考えてみます。そして改めて考えてみました。…、きっと彼なら『Believe in the power of music(音楽の力を信じなさい)』と言ってくれるのではないかと思いました。BelieveというよりはむしろFaith(信念)という言葉で『音楽の力に信念を持ちなさい(Have a faith in the power of music)』と言ってくれるのではないかと思いました。ただ今回ばかりは、それを確認してみたくなりました。体調を悪くされているということを聴いていましたので、ためらうところがあったのですが、岡崎香奈さんに仲介していただき、私に、そしてこの震災と対峙するセラピストにどのようなアドバイスがあるのか伺ってみました。すると彼は、『音楽の力を信じる』ということは、もちろん前提の姿勢として更に、次のような言葉を送ってくれました。

『もし私が、あなたが直面している様な状況に対峙するのなら、直感的に適応して活動するために自由になりたいと思う。自分の同情心や共感力という人間的能力を、日本文化にしっかりと生きてきた知恵に支えられながら、療法の関係と瞬間の中に音楽的インスピレーションを持ち込みたい。ですので、私のあなたへの基本的な助言は、創造的でありなさい、勇気を持って創造的であれということです。そしてあなたの中の直感とひらめき(インスピレーション)を道しるべにしなさいということです』

” If I were faced with the situation you are facing, I would want to be free to work intuitively, adaptively, and let my human faculties of sympathy and empathy, backed by my intimately lived knowledge of Japanese culture guide me in bringing musical inspiration into the therapy moments and relationships. So my basic advice to you is to be creative, courageously creative, and let your faculties for intuition and inspiration guide you.”

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日本における音楽心理療法の発展と可能性:シンポジウムからの考察

猪狩 裕史(名古屋音楽大学音楽療法准教授)

*この論文は、2019年度中に「名古屋音楽大学研究紀要」にて出版される予定ですが、その出版が2019年9月の日本音楽療法学会第19回学術大会で開催される音楽心理療法の自主シンポジウム開催までに間に合わないということが判ったので、個人のブログにて掲載します。

1.はじめに

 ウィーラー(Wheeler, 1983)によると、音楽心理療法には三つの実践レベルがある。それらは、(a) 活動療法としての音楽療法、(b) 再教育を目標とした内的志向の音楽療法、(c) 再構築を目標とした内的志向の音楽療法である。日本の音楽療法では活動志向の実践が多く、カウンセリング技術を要する再教育志向の実践や、クライエントの無意識を探索する再構築志向の実践は、海外には存在しても日本では殆ど見られない。しかしながら近年、ボニー式音楽とイメージ誘導法(以下ボニー式GIM)実践家育成訓練(名古屋音楽大学、2016年6月28日)や、「精神分析的音楽療法」セラピスト養成講座(ドイツ音楽療法センター、n.d.)が開催されたり、ブルシアが編纂した「音楽心理療法の力動」の本が翻訳されたりと、音楽心理療法に関する環境が整いつつある。そこで筆者は、この論文と同じタイトルである「日本における音楽心理療法の発展と可能性」という自主シンポジウムを、香川県高松市で2018年に開かれた(一社)日本音楽療法学会学術大会において企画し、音楽心理療法の主要アプローチの実践家を招き開催した。

このシンポジウムでは、音楽心理療法の四つのアプローチ(ノードフ・ロビンズ音楽療法、分析的音楽療法、ボニー式GIM、「大切な音楽」)が取り上げられた。これらは、ブルシア(1998/2017)が音楽心理療法に用いられる主要な三つの技法である歌(「大切な音楽」)、即興(ノードフ・ロビンズ音楽療法、分析的音楽療法)、音楽とイメージ法(ボニー式GIM)を用いている。本論文は、自主シンポジウムで語られたこれら四つの内容を要約し、その内容に基づき音楽心理療法の発展に必要な視点について考察する。

2.音楽心理療法の四つのアプローチ

2.1 ノードフ・ロビンズ音楽療法

自主シンポジウムの最初の話題提供者として、ノードフ・ロビンズ音楽療法士で名古屋音楽大学音楽療法講師の長江朱夏氏が、「ノードフ・ロビンズ音楽療法:クリエイティブな自己を解放する音楽アプローチ」と題して話をした(2018年9月)。このアプローチは、作曲家のポール・ノードフと、特殊教育家のクライブ・ロビンズにより作られたものである。このアプローチにおいて、まず大前提として、「誰しもが音楽的存在」であるという基本的信念があることが述べられた。このアプローチの創設期において、ノードフとロビンズは主に、言語表現能力を持たない子どもとの関わりを持っていたが、彼らの表現に即興音楽でアクティブに音楽創りを通して関わることで、子どもたちが言葉ではない、自由な音楽表現を通したコミュニケーションの可能性に気づいていくことが述べられた。つまりアクティブな音楽創りという過程を通して、子どもが本来持っていた自分の力や可能性に気づき、自分をより解放し成長へと向かう音楽中心的で人間主義的なプロセスが、このアプローチの中心にあるのである。故にこのアプローチにおいて、この音楽創りのプロセスそのものがセラピーなのである。

この治療原理を説明するのに長江は、アンナという視覚障害があり、日常生活能力はほぼ全介助を要する、非協力的で強情な一面のある子どもとノードフとロビンズの症例を紹介した。この音声データにおいて、アンナの「グッドモーニング」という発声から即興的に展開していった音楽的やり取りの中で、アンナが「非協力的で強情」な一面を超えてコミュニケーションをとる様子が聞かれた。この様子を、ブルシア(1998/2017)があげた心理療法における目標と比較して長江は、アンナがこのわずか1分程度の音楽的やり取りの間に多くの目標達成に向かう素地となる部分を表出させたと述べた。そしてこうした即興音楽のコミュニケーションの積み重ねにより、「自己へのより多くの気づき」や「感情や態度における変化」、「行動変容」、「対人関係のスキルの向上」、「健康な人間関係の発達」、「人生におけるより深い意味と満足」(ブルシア、pp. 26-27)という目標が達成されたと述べた。さらにこれが長江だけの考察ではないものとして、アンナの母親がのちに残した言葉が紹介された。病理学者でもあるアンナの母親は「アンナが幸せで自信を持っている様子をみるととても嬉しい。私たちが彼女の意向を間違って理解した時、今の彼女はためらわずに私たちを正す。それを気楽にできることが、今の彼女の人との関わり方を可能にしている」と述べ、それまでは人との関わりを持つこともその意欲もなかったアンナが、ノードフ・ロビンズ音楽療法を通して変化していった様子を紹介した。

日本における可能性という視点から長江は、このアプローチが非言語的な対象者に行われていたこと、また現在では高齢者や成人に対しても対象者領域が広がっていることから、日本における発展も可能性が高いことを述べた。ただしその発展に対する課題として、ノードフ・ロビンズ音楽療法士育成機関が日本国内に存在しないことを挙げた。

2.2 分析的音楽療法

次に分析的音楽療法士で国立音楽大学音楽療法講師の小宮暖氏が、「精神力動と音楽:分析的音楽療法の音楽家へのアプローチを通して」と題して話をした(2018年9月)。分析的音楽療法は、メアリー・プリーストリーにより考案されたアプローチであると紹介された。そしてその基礎概念に、フロイトが考案した精神分析から発展し広まった精神力動学派の理論があることを述べた。

分析的音楽療法の基礎である精神力動理論を説明するのに小宮は、意識の構造について説明し、無意識の層(我々が意識し得ない層)にある葛藤が、精神的人間関係的問題の根源にあることを述べた。その無意識の層にある葛藤を明らかにする上で、フロイトが自由連想法(思い浮かぶことを自由に述べていく)を用いたのに対し、プリーストリーはその代わりに自由即興を用いたと述べた。この即興について小宮は、ジャズや民族音楽といった音楽的規則にのっとり行うものではなく、誰にでも音が出せるような楽器を使い鳴らすことにより、そこに自分の心のありようや人間関係のパターンが映し出されていくと述べた。

さらに精神力動の概念として、転移と逆転移についても紹介をした。転移とは、クライアントが過去の重要な人物との人間関係のパターンを持ってセラピストに関わることであると述べた。例として、虐待を受けた経験のあるクライアントが、セラピストに対しても恐れを持ってびくびくとしながら関わることがあると紹介した。そしてこの関係のパターンは、即興演奏を行うときにも顕われてくると述べた。先の例になぞり、過去の虐待によりセラピストに対しても怖さという転移感情を覚えているクライアントであれば、楽器演奏においても様子を伺うように小さく鳴らすなどの反応が顕れることを紹介した。そして小宮はこれを音楽転移と呼んだ。

また小宮は、セラピスト側にも同様に反応が起こることがあり、それを逆転移と紹介した。それが音楽に顕れる例えとして、親から逃げるように即興演奏においても合わせようとするセラピストから逃げるような演奏をするクライアントに対し、セラピストが構造を作ろうと拍を強調することで、いつの間にかセラピストが規範を強制するようなクライアントの親の役割を知らずに行ってしまうという逆転移があることを述べた。そしてそれを、クライアント側から誘発された逆転移で「補足的逆転移」であると紹介した。またセラピストが過去の重要な人物との人間関係のパターンをクライアントに持って関わる古典的逆転移というものがあり、注意が必要であると述べた。分析的音楽療法においては、このような転移や逆転移の関係性のパターンに気づいていくことで、クライアントが自分を知るというのが治療原理であると述べた。

これらの治療原理がどのように分析的音楽療法の実践で活かされるかについて小宮は、自身の音楽家に対する症例を用いて紹介した。幼少期から音楽家を目指して来た人の中には、その時期に親から十分な養育経験が実感されずに、それがその人の演奏や音楽との関係に影響を及ぼしていることを紹介した。例えば否定感と共に育った人であれば、自分の音楽の価値を認められずに音楽をやっている意味を見失い、半ば義務的に続けている人がいる。また条件付き肯定、つまり親の言う通りにやっている時にだけ認められるような環境で育った人は、自分の感情や考えを外に出すことに自信を持てず、音楽に自らの感情を込められなかったり、指導者の言う通りにしかできなかったり、また集団においてはリーダーシップを取れなかったりすることがあると述べた。そしてその不安定な自己意識により、他者との比較に圧倒されたり、アンサンブルの中では完全に服従する、または逆に極端に反抗するといった反応として顕れると述べた。技術偏重志向や完璧主義といった態度、腱鞘炎を起こしているのに自分を痛めつけるまで練習をするような「懲罰的行動」も、この不安定な自己意識に由来すると述べた。

その上で小宮は症例として、音楽指導者でありながら音楽に対する感情が動かなくなった弦楽器奏者の女性との例を紹介した。この女性は、否定的な母親や、服従を強いる音楽教師の下で育ち、鬱になったこともあったと述べた。この女性が「自分自身のために音を出した経験が少ないのでは」と洞察した小宮は、二回目のセッションで「自分自身のために音を出す」ことをテーマで即興演奏することを促した。小宮とこの女性クライアントの即興演奏は小宮のピアノ伴奏により静かに始まり、クライアントが何ら技巧的な配慮もなく長い弓使いで演奏する弦楽器の音を、小宮のピアノ演奏が優しく抱きとめているようなものであった。この間、クライアントは涙を流しながら演奏をしていたということであった。この女性クライアントはその涙の理由が理解できなかったということであったが、それに対して小宮は、その経験を言語化できなくとも、音楽が心に触れたことそのものが大事であり、その感覚を味わうように促したと述べた。この音楽体験について小宮は、この女性が今までに触れたことのない心の奥底に響いた「音による自己受容の第一歩」だったのではないかと解説した。

分析的音楽療法士になるための訓練について小宮は、修士号を取っている人でなければ受けられないものであることを述べた。ニューヨークのプログラムは四段階に分かれており、まず自らも個人的な療法を受ける必要があること、その後相互セラピーという同じレベルにある訓練生同士がセラピーをお互いに行うこと、三から四段階では実際のクライアントを受け入れてセッションを行い、指導を受けていくというものであることを紹介した。また日本においては、ドイツ音楽療法センターで精神分析的な音楽療法士の育成が行われていることも合わせて紹介した。

2.3 ボニー式GIM

日本初のGIMフェローである小竹敦子氏は、「日本でのボニー式GIMの有効性と予防医学への可能性」と題して、アメリカの音楽療法士のヘレン・ボニーにより開発された受容的アプローチで、音楽を用いたイメージ法であるボニー式GIMについて、自分の臨床家としての成長の歴史を振り返りながら論じた(2018年9月)。「自分にとって音楽とは何か」という大学の授業における問いに、人生の時々に無性に聴きたくなるラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」が思い浮かんだことを述べた。またその衝動は「何か」を探求することで、ボニー式GIMでなぜ音楽を用いるのかを理解できるようになったと述べた。西洋クラシック音楽は、人間の不安や不安定な心を映し出し、その後調和へと導いてくれるものであり、小竹にとっては、このラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」を聴くことで、自分の人生で起こっている様々なことを音楽の中に投影させ、安定と浄化に導いてくれていたことに気づいた経験を述べた。

小竹によるとボニー式GIMとは、変性意識状態で、特別に構成されたクラシック音楽を聴きイメージを体験することで、その対象者にその時に必要な洞察へと導く経験を可能にするものであると述べた。それを行う具体的手順として、(a) プレセッション、(b) インダクション、(c) 音楽セッション、(d) ポストセッションという流れがあると述べた。プレセッションは、クライアントの背景を知り、そのセッションでの目標を立てる過程である。そしてインダクションでは、変性意識状態へと導くためにリラクゼーションを行う。その上でその時の目標にあった音楽プログラムをセラピストが選び、約30分の音楽プログラムの間、セラピスト(ボニー式GIMでは「ガイド」と呼ぶ)がクライアントと対話をしながら、クライアントの音楽によるイメージの旅路に付き添う音楽セッションを行う。そしてポストセッションにおいては、そのイメージの旅路に浮かび上がったものについて、セッションのテーマや目標と照らし合わせながら振り返りを行うと述べた。この過程での重要な視点として小竹は、プレセッションの段階でクライアントは既に自己の内的世界への探求が始まっていることであると述べた。一般的な芸術音楽鑑賞とは違い、自己洞察に向けた目的を持って音楽を体験することにより、音楽がその時に必要なイメージや洞察へと導いてくれる。また音楽プログラムの選択については、同質の原理(アイソ・プリンシパル)を用いて、その時のクライアントの情緒状態や課題にあったプログラムを選ぶことで、自発的な無意識からのイメージの想起がより一層高められ、そのイメージが無意識と意識のコミュニケーションの手段になると述べた。

無意識と意識の橋渡しになるイメージについて小竹は、視覚的、感覚的、聴覚的、体感的など様々な出現の仕方があると述べた。このようにボニー式GIMでは思考領域のみならず、様々な感覚器へ訴える側面があるため、心身症のような形でトラウマを身体に抱える人にも有効に作用すると述べた。この様にボニー式GIMでの経験は様々な感覚器に作用する側面があるため、音楽再生機器の選択は聴覚のみならず体感にも訴えるようなものになるように十分な配慮を要すると述べた。ボニー式GIMは、「頭・心・身体」の全ての側面に働きかけ、三位一体という統合をもたらすホリスティック(全人的)なアプローチであり、この統合を助けることで予防医学にもつながると述べた。小竹は、自身のクライアントが「ボニー式GIMによりずっと見つからなかったパズルのピースが見つかった」と言ったことを紹介したが、ボニー式GIMによる統合的な体験が、意識上言語的にプロセスするだけの心理療法ではなし得ない三位一体の経験が、このパズルのピースが見つかった感覚を促進したと考えられる。

2.4 「大切な音楽」

受刑者への音楽療法を実践している、武庫川女子大学音楽療法准教授の松本佳久子氏が、自身が考案したアプローチについて、「『大切な音楽』を媒介とした語りと沈黙:受刑者への音楽ナラティヴアプローチ」と題して話をした(2018年9月)。松本は、受刑者に対する音楽療法を始める際に何をすればいいのか思い悩んでいた時に受けたアドバイスの言葉である、「当たり前の会話をすればいいのだよ」という言葉が、彼女のワークの基盤になっていることを紹介した。しかしながら刑務所という環境や文脈において、「当たり前の会話」が難しいということを述べた。刑務所における教育が徹底するあまりに、被害者視点に立った贖罪の言葉が「立て板に水を流すごとく」語られるため、語り(ナラティブ)を通して本来の更生に必要な内省が十分にされない可能性について言及した。さらに松本は、文化人類学からのナラティブ・アプローチに対する批判として、「どのように」語られたかよりも「何が」語られたかに重きが置かれすぎていること、また戦争体験のような過酷な体験をした人の中にはそれについて語れるわけではない人がいることを紹介した。その上で松本は、アンデルセンの「言葉にならないその時、音楽は語る」という言葉を紹介し、自ら語らずとも音楽が本心を語ってくれるという側面を、自らのアプローチの仕掛け、手段、目標として用いていると述べた。

「大切な音楽」の具体的な手順として、概ね10回の治療期間の初期段階においては、音楽アンサンブル体験を行い、その後中期にそれぞれのメンバーの「大切な音楽」をグループで聞き、語ってもらうと紹介された。過去にとらわれず未来についても含めて自由に語ってもらい、その後グループでの話し合いを行うという手順である。

この治療原理を説明するのに松本は、ボーカロイドを用いたみきとPによる「小夜子」という楽曲を取り上げた受刑者の語りと、グループによる話し合いの症例を紹介した。この受刑者が持っていた自殺願望、その生い立ち、生きている感覚が乏しいネット社会に身を置いていた環境が、ボーカロイドにより無機質に歌われる音楽の歌詞の中に投影され、グループでの話し合いを促進させていた。そして自らが語らずとも共感や共有を可能にし、本来の更生に必要な内省のきっかけを与えたことを述べた。

2.5 シンポジウム内での質疑応答

このシンポジウムでは指定討論者に、ドイツ音楽療法センターの代表で「もう一人の自分と出会う:音楽療法の本」の著者である内田博美氏と、横浜カメリアホスピタルの精神科医師である山之井千尋氏を迎えて議論を深めた。まず山之井氏より、これらの療法が、どのような対象者に有効なのか、そしてこれらの療法を実践する人材育成をする上で、どのようなトレーニングが必要なのかという疑問が提示された。

分析的音楽療法士の小宮は、対象者について、このアプローチは即興体験から自己洞察する技法なので、対象者にはそれに必要な知的能力と、客観的に自己洞察をするための自我が必要であると述べ、神経症圏内の患者が対象になると述べた。またプリーストリー自身のワークを例に挙げ、言葉による表現能力が十分ではない子供に対しては、絵で描かせたり、即興の録音に合わせて踊らせたりするなどして、他の表現媒体を用いて感情の明確化や洞察を行なっていたと述べた。また分析的音楽療法士の実践家育成教育について、それにおいて最も重要なのは、自分がセラピーを受ける体験であることを紹介した。これを分かりやすく説明するのに小宮は、マッサージを例に挙げ、マッサージを受けてみて初めてどれほどの力で押すべきなのか分かる、分析的音楽療法でもセラピーを受けてみて感情を表に出すこと、それを受け止めてもらうことがクライアントにとってどのようなことなのか初めて理解できると述べた。また精神力動理論とそれに伴う転移と逆転移の力動を自らのセラピーや教育訓練を受けて学ぶ必要があると述べた。

小竹は、ボニー式GIMも分析的音楽療法同様に、言語能力とイメージからの分析や情報整理をするために必要な知的能力が必要になると述べた。また近年では子供やグループへの適応が行われていることも紹介した。トレーニングについては最低三年かかるトレーニングが課せられていると述べた。

長江は、ノードフ・ロビンズは言葉の代わりに音楽を用いることに重きを置かれて発展したアプローチであると述べ、対象者領域は、子供から言語能力のある成人までと幅広く対応できるアプローチであると述べた。また言葉の代わりに音楽を用いてコミュニケーションをするために、それに必要な音楽的能力(臨床即興スキルと音楽リソース)を身につけることにトレーニングの重きが置かれていると述べた。子供の変化が全て音楽の中で起こるという高度な技法のため、それに必要な知識と技能が求められ、修士課程以上の学歴が必要となると述べた。またノードフ・ロビンズ音楽療法特有のインデックスという記録と分析法の習得、それを研究としてまとめる能力も必要であり、育成には最低でも一年から二年のトレーニングが必要になると述べた。

更に山之井氏は、松本の「大切な音楽」のアプローチにおいて不向きな対象者について、またこのアプローチでブレイクスルー(転機)となったセッションについて尋ねた。これに対し松本は、このアプローチでは言語化に必要な能力が求められる他、このアプローチの対象者に対する侵襲性に言及し、「大切な音楽」を「表現したい」という意欲や心の準備が醸成している必要があることを述べた。また適用が比較的困難な対象者としては感覚性失語、あるいは適用に配慮を要する対象者としては統合失調症患者を挙げた。ブレイクスルーの瞬間について松本は、「音楽を聴いた瞬間」に空気が変わることを挙げた。これは、自分の自由で音楽を聴くことができず、外部からの刺激や内部での行動も厳格に統制されている日本の刑務所という特別な環境だからこそ起こり得るものであるとも述べた。故に音楽療法士としてできることは「外部から音楽を持ってくることくらい」であると謙遜して述べた。

 ドイツ音楽療法センターの代表である内田博美氏は、精神力動の視点から小宮に対して無意識が意識化される過程を示す事例について尋ねた。それに対して小宮は、ベートーベンの楽曲に見られる、「急激な音楽の変化」が苦手というピアニストのクライアントとの事例を紹介した。そのクライアントに対して、「急激な変化」と題した即興体験を行ったところ、幼少期の生活環境の急変や、ピアノの先生により演奏曲を急に変えられた経験など、「急激な変化」に対する自分の感情が想起され、ベートーベンの急激な音楽の変化によりそれらが思い起こされていたことへの気づきにつながったという事例を紹介した。またそのクライアントは次のセッションには「ベートーベンが好きになった。私を表現する音楽だ」という気づきにつながったという後日談も紹介した。

3.考察

 「日本における音楽心理療法の発展と可能性」と題し、ノードフ・ロビンズ音楽療法、分析的音楽療法、ボニー式GIM、「大切な音楽」というアプローチの実践家を招き、自主シンポジウムを実施したが、このシンポジウムを通して日本の音楽心理療法の発展と可能性を考える上で、いくつかの視点が明らかになった。中には根源的な疑問も浮かび上がった。下記に述べる視点は、その論点を明確にするために独立して論じるが、全てが相互に関係している。それらの論点とは;(a) 言語の位置づけ、(b) エビデンスとしての音楽の活用、(c) 育成、(d) 音楽なのか、音楽心理療法なのか、音楽療法なのか、という点である。

3.1 言語の位置付け

 音楽心理療法を語る上で、言語と音楽の比重には差異がある。ブルシア(1998/2017)はこれらを四つに分類している。それらは、(a) 心理療法としての音楽、(b) 音楽中心心理療法、(c) 心理療法における音楽、そして(d) 音楽を伴った言語セラピーである(p. 28)。それぞれの詳細は文献を参考にしていただきたいが、簡単にいうと、心理療法やカウンセリングに補完するように音楽が使われるというものから、音楽体験そのものが心理療法の中心となるという考え方である。

小竹は、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」が、自分の人生で起こっている様々なことを音楽に投影することを可能にし、安定と浄化に導いてくれていた自身の経験を述べた。これは、音楽そのものに安定と浄化へと導く潜在能力があることを示唆している。また小竹は、イメージの出現の仕方の多様性に言及し、音楽再生機器の選択には十分な配慮を要すると述べていたのも、音楽とそれによるイメージ体験そのものに力があることを示唆している。しかしながら同時に小竹は、育成トレーニングには最低三年かかることや、対象者は言語能力と知的能力が必要であることに言及し、ただ音楽によるイメージ体験が行われれば心理療法並みの効果が得られるわけではないこと、また治療プロセスには言語的な役割が重要になることを示唆している。

長江が紹介した症例においても、確かに言葉を用いたやり取りはないものの、ブルシアが挙げた心理療法における目標達成に向かう素地となる部分が引き出され、変容と成長につながった。従来の心理療法やカウンセリングのような言葉でのやり取りを行わず、セラピストとのアクティブな音楽創りを通してクライアントは心理的成長を成し遂げたことになる。もちろん単純にアクティブな音楽創りをすれば良いということではなく、ノードフ・ロビンズ音楽療法士は、先に小宮が紹介した転移や逆転移について、熟知しながら関わっている(タリー、1998/2017)。またタリー(1998/2017)は、成人男性に対するノードフ・ロビンズ音楽療法を用いた症例を紹介しているが、この症例において、言語を用いながらも、ノードフ・ロビンズ音楽療法アプローチの音楽体験そのものが心理療法の中心となる原理が描かれている。

 また松本の「大切な音楽」のアプローチにおいても、自らが多くを語らずとも、自分の思いを「大切な音楽」を通して投影しグループと共有する、そしてグループメンバーの語りの過程に、内省に必要な共感や思いの共有を可能にさせていた。このプロセスに意義があり、そこには必ずしも本人による言葉が存在しないことを述べた。松本は謙遜し、自分の役割はその場に彼らの大切な音楽を「持ってくることくらい」であると述べていたが、そこにも「大切な音楽」アプローチの「言語の位置付け」が反映されている。実際にセッションの場において、言語的な内省が受刑者から直接なくともその受刑者が変化を見せるのは、松本の別の症例に存在している(2015)。その症例の少年受刑者は、大切な音楽のグループでの語りと共有がきっかけとなり、法務教官や精神科との面談を希望し、彼に本当に必要な「語り」をはじめ、過去の自らの被害と加害について告白するように変容していったとされている。

 小宮の分析的音楽療法においては、言語的プロセスが重要でありながらも、セラピストとの即興演奏における関係性に、クライアントが現在の心の問題の根源となる過去の重要人物との関係を投影しそれに気づいていくことで洞察を得るといった面では、音楽の体験は重要な役割を果たす。小宮が紹介した症例においても、「自分自身のために音を出す」という即興体験そのものが、このクライアントの心の奥底に響き自己受容の第一歩につながったということからも、音楽体験そのものが治療的役割を果たしたことは大きい。

 このように音楽心理療法の中においても、音楽との関係性の中で言語の位置付けは多様なものである。今後の日本における音楽心理療法の発展に向けた検討課題においては、音楽心理療法において実際に効果を上げているものは何なのか、音楽体験そのものなのか、音楽体験を共有することなのか、言語的対話による内省や洞察なのか、またはそのほかの要素なのか、明らかにする必要がある。その一つの方法として、質的研究法を用いて、これらの音楽心理療法が効果を上げた人へのインタビューを行い、何が治療における転換的瞬間(ブレイクスルー)に貢献したのかを明らかにする必要がある。

3.2 エビデンスとしての音楽の活用

今回の自主シンポジウムにおいても、強く印象に残ったのは、音楽が流れた瞬間に、それまで言葉でのみ語られていた治療プロセスに色が現れ、生命が吹き込まれた様に感じられたことである。松本が「大切な音楽」アプローチを用いたセッションでブレイクスルー(転機)となった瞬間について、「音楽を聴いた瞬間」に空気が変わることを挙げた通り、今回のシンポジウムでも同じようなことは見られた。長江が音源として紹介したアンナの症例(“Anna” in Nordoff & Robbins, 2007)においても、それを聴くことにより、音楽がどのように「感情や態度における変化」や「行動変容」へ誘い、「対人関係のスキルの向上」や「健康な人間関係の発達」に導いていったか、よく理解することができた。またそのアクティブな音楽創りの過程そのものが、「人生におけるより深い意味と満足」をアンナに与えたという、「心理療法としての音楽」という側面について深いレベルで理解を可能にした。

松本のクライアントが取り上げた「大切な音楽」は、人間ではないボーカロイドという合成音声により歌われるテクノミュージックであった。それは無機質で機械的に作り込まれた人間性の薄い音楽の中で、人間ではないボーカロイドが自殺願望を歌うというものであった。その歌に、自分の感情が薄らいでいき自傷を繰り返したことや、ネット社会で繋がる人を重ねていった話し合いに発展したことは、ボーカロイドが歌う彼にとっての「大切な音楽」を聴くことで理解することができた。

小宮が分析的音楽療法の症例として紹介した即興演奏は、特に印象に残った。否定的な養育環境で育ち、音楽に対して感情が動かなくなった弦楽器奏者に「自分自身のために音を出す」という即興で、クライアントが鳴らす音が、小宮のピアノ伴奏により優しく抱きとめられているのは、私にとってとても美しく感動的なものとして響いた。小宮の伴奏は、まるで無償の愛で赤子を抱きしめる母親の優しさや慈しみにあふれているように感じられた。音楽が象徴的に、クライアントに必要な無償の愛で抱きしめられることを可能にしたと思われる。クライアント自身も涙を流しながら演奏をしていたと報告されたが、その経験がいかに重要で、クライアントにとって言葉にできないような心に触れる経験をもたらしたのかは、音楽を聴くことでよく理解することができた。

質的研究法の一つに、アートベース・リサーチ(Arts-based research)というアプローチがある(Viega & Forinash, 2016)。これは研究のあらゆる過程(データ収集、分析、結果の公表)で芸術を介在させるというものである。これは普段音楽療法士が日頃の実践の中で行なっていることでもあろう。今回の自主シンポジウムでも明らかになったが、音楽心理療法の効果やその過程が正当に評価され理解されるには、音楽の存在は欠かせない。自主シンポジウムでも共通して直接的、または間接的に述べられたことだが、音楽が言葉の代わりを果たし、「言葉にならないその時、音楽は語る」のであれば、音楽心理療法の効果を評価するのに音楽がないのは片手落ちである。音楽そのものをエビデンスとして積極的に捉え、信頼性の高い手続きを踏んだ研究を行う必要がある。またそのエビデンスとしての音楽を提示する方法(例、音声やビデオデータを含んだ電子書籍、学術研究発表時間の十分な確保、など)を、より積極的に検討する必要がある。

3.3 育成

ノードフ・ロビンズ音楽療法、分析的音楽療法、ボニー式GIMのいずれのアプローチも、世界的には上級音楽療法アプローチと呼ばれ、大学院以上のレベルに属される(長江、2018)。今回の自主シンポジウムを通じても、改めてそれぞれのアプローチにおける高度な専門性が明らかになった。ノードフ・ロビンズ音楽療法は、そのアプローチの音楽中心主義的な姿勢を反映するように、言葉の代わりに音楽を用いてコミュニケーションをするために必要な音楽的能力(臨床即興スキルと音楽リソース)にトレーニングの重きが置かれている(長江、2018年9月)。分析的音楽療法では、精神力動に基礎を置いていることから、自らその力動を体験する必要があり、それはトレーニングにも組み込まれている(小宮、2018年9月)。松本の「大切な音楽」のアプローチは、まだアプローチとして確立していないが、今後そのアプローチの実践家育成の過程において「大切な音楽」を他人と共有し、それについて話すことの意味や重さを、セラピスト自身が体験する必要があることが考えられる。誰しも大切なものがあり、中には人には言わず大切にしまっているものもある。そんな大切な音楽を共有すること、またそれを受け取ることを経験することは重要なトレーニングプロセスになるであろう。またどこまでクライアントの気持ちを代弁して言語化し反映するのか、どこまでをただ沈黙して一緒にその音楽をクライアントと共有するのかも、自ら体験して学ぶことが必要になるかもしれない。

現在ボニー式GIMと分析的音楽療法は、日本において育成トレーニングが始まっている(ドイツ音楽療法センター、n.d.;名古屋音楽大学、2016年6月28日)。今後はノードフ・ロビンズ音楽療法士の国内での育成、また「大切な音楽」のアプローチの確立と実践家育成トレーニングプログラムの確立が期待される。その過程で、小宮が指摘した、そのアプローチを自らが体験することをどれほどトレーニングに加えられるかは、重要な側面であると考えられる。特に音楽心理療法の力動の中には、一般の心理療法のようなクライアントとセラピストという二項関係ではなく、クライアント-音楽-セラピストという三項関係が存在する。小宮は注意すべき逆転移として古典的逆転移について言及したが、セラピストがクライアントに対して持つ逆転移のみならず、音楽への逆転移にどのように気づかせていくかは、育成を行う側の課題でもある。

それと同時に、受講者のプライバシーへの配慮が必要になる。松本は大切な音楽アプローチの侵襲性について言及したが、大切な音楽を共有することや、それぞれのアプローチを育成において体験することが、場合によっては受講者のプライベートで脆い部分を露わにしてしまう可能性がある。どのように受講者のプライバシーに配慮しながら、体験を通した学びをしてもらうのかが課題である。一般的に心理療法士の育成では、育成機関外で心理療法を受けることが通常であるが、音楽心理療法の創成期である日本において、音楽心理療法を外部で受ける場所が少ないというのも課題の一つである。分析的音楽療法の育成のように、受講者同士のセラピーを行うのも一つの方法であるが、その過程でどのようにしてそれぞれが自らのプライバシーを守りながらも、おざなりにならずに音楽心理療法が持つ力を体験することができるか、その方法について検討が必要である。

3.4 音楽なのか、音楽心理療法なのか、音楽療法なのか

この音楽心理療法のシンポジウムを終えて、最も難しく根幹に関わる疑問に行き着いた。それが「音楽なのか、音楽心理療法なのか、音楽療法なのか」という疑問である。音楽にはそもそも療法的な力が内在しているのは、日本音楽療法学会の定義を読んでもわかる。心理的な働きについては、小竹がラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」を聴くことで体験した、音楽の中に自分の中の葛藤が映し出され安定と浄化へと導かれるというのが一つの例である。松本はブレイクスルー(転機)となった瞬間について、「(クライアントが自分にとっての大切な)音楽を聴いた瞬間」と述べた。つまり音楽、またはその体験そのものに既に治療的な働きがあるということである。もしかすると、それが芸術音楽のそもそもの役割なのかもしれない。それではクライアントにどの程度のニーズや機能レベルがあれば、音楽のみで解決し、どの程度であれば音楽心理療法が必要になるのか、その線引きも必要になるかもしれない。

そしてもう一つの疑問は音楽心理療法なのか、音楽療法なのかということである。この自主シンポジウムを企画した当初、私は、音楽心理療法はウィーラーのいう再教育、再構築レベルの実践で、言語介入を含んだ上級アプローチという位置付けで認識していた。それ故に意図して「音楽心理療法」という、精神療法やカウンセリングを連想させる言葉を用いて、学部レベルでは教えられないレベルのアプローチであることを暗示していた。しかしながら、今回取り上げられたアプローチはいずれも、その関与の程度に差はあれども、全て「音楽を体験すること」を含み、その影響力の範囲は、心理療法で主に扱う思考や情動を言語的に理解するという範囲を超えていた。いずれのアプローチも音楽の経験や非言語性を用いて、身体、思考、情動全体を統合していくアプローチであった。これは小竹が述べたボニー式GIMの三位一体の考え方と通じる。小宮の紹介した分析的音楽療法の症例においても、「自分自身のために音を出す」即興をセラピストと共に行うことにより、心の奥底に触れる経験を可能にしていた。松本の「大切な音楽」アプローチでは、グループメンバーの語りを通して共感や共有することを可能にしているが、その中心にあるのは自分の思いを投影する「大切な音楽」にある。確かにそれぞれのアプローチは精神力動や、人間主義、ナラティブといった基礎概念を根底に持ってはいるが、同時にいずれのアプローチも音楽中心的なアプローチである。ブルシアのいう「心理療法としての音楽」、「音楽中心心理療法」というものであるが、音楽を体験すること、そしてその音楽の療法的な力が中心に用いられるアプローチにおいて、わざわざ「心理療法」に軸足を置く音楽心理療法という呼称を使う必要はなく、音楽療法と名乗っていってもいいのではないかと思う。事実、長江の紹介したノードフ・ロビンズ音楽療法は、音楽創りのプロセスそのものがセラピーであり、つまり「心理療法としての音楽」が治療の中心であり、自らをわざわざ音楽心理療法アプローチとは述べてはいない。この四つのアプローチが、音楽心理療法に軸足を置くのか、またはその独自性の中で音楽療法の上級技法という位置付けで深化発展していくのか、そのアイデンティティの明確化が必要である。

4.結語

 この自主シンポジウムは、再教育、再構築を目標とした内的志向の音楽療法が発展していく創成期の日本において、大変意義のあるものであった。四つのアプローチの実践家に加え、精神科医と育成家を招き討議をできたことそのものが、今後の発展への第一歩であった。本論で提起された課題や、それぞれの参加者の考察をもとに、継続的に対話を続け、さらなる発展へとつなげたい。

参考文献

Nordoff, P., & Robbins, C. (2007). Creative Music Therapy: A Guide to Fostering Clinical Musicianship (Second Edition: Revised and Expanded). Gilsum NH: Barcelona Publishers.

Viega, M., & Forinash, M. (2016). Arts based research. In B. L. Wheeler & K. M. Murphy (Eds.) Music therapy research. Barcelona.

Wheeler, B. L. (1983). A psychotherapeutic classification of therapy practice: A continuum procedures. Music Therapy Perspectives, 1(2), 8-12.

アラン・タリー(1998/2017)「ノードフ・ロビンズ音楽療法における転移と逆転移」ケネス・E・ブルシア編集「音楽心理療法の力動〜転移と逆転移をめぐって〜」(小宮暖訳 The dynamics of music psychotherapy)より(pp. 198-257) NextPublishing Authors Press.

ケネス・E・ブルシア(1998/2017)「音楽心理療法への導入」ケネス・E・ブルシア編集「音楽心理療法の力動〜転移と逆転移をめぐって〜」(小宮暖訳 The dynamics of music psychotherapy)より(pp. 26-41) NextPublishing Authors Press.

小竹敦子(2018年9月)「日本でのボニー式GIMの有効性と予防医学への可能性」第18回日本音楽療法学会学術大会で行われた自主シンポジウムより 香川県高松市

小宮暖(2018年9月)「精神力動と音楽:分析的音楽療法の音楽家へのアプローチを通して」第18回日本音楽療法学会学術大会で行われた自主シンポジウムより 香川県高松市

ドイツ音楽療法センター(n.d.) 「セラピスト養成講座」 https://www.gmtc-jp.com/ausbildung/ より取得

長江朱夏(2018)「音楽中心音楽療法の特別トレーニングプログラム実態調査」名古屋音楽大学研究紀要第37号、pp. 75-86

長江朱夏(2018年9月)「ノードフ・ロビンズ音楽療法:クリエイティブな自己を解放する音楽アプローチ」第18回日本音楽療法学会学術大会で行われた自主シンポジウムより 香川県高松市

名古屋音楽大学(2016年6月28日)「ボニー式GIM実践家育成プログラム・レベル1を開催しました(6/23~27)」http://www.meion.ac.jp/topi/ボニー式gim実践家育成プログラム・レベル1を開/ より取得

松本佳久子(2015)「非行少年へのグループアプローチ:「大切な音楽」についての語りによる意味生成と変容」森岡正芳編著「臨床ナラティヴアプローチ」(pp.179-190) ミネルヴァ書房  

松本佳久子(2018年9月)「「大切な音楽」を媒介とした語りと沈黙―受刑者への音楽ナラティヴアプローチ」第18回日本音楽療法学会学術大会で行われた自主シンポジウムより 香川県高松市

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ボニー式GIM体験者、事例研究参加者募集(2019年度)

昨年度に引き続き、名古屋音楽大学音楽療法コース准教授として、ボニー式音楽とイメージ誘導法 (ボニー式GIM)の効果について事例研究を実施することにしました。

ボニー式GIMとは、対象者が非日常意識状態(リラックス状態、または意識の集中した状態)で西洋音楽やリラクセーション音楽を聴きながら、イメージを自然に思い浮かべ、それについてセラピストと対話することにより自己洞察を深める音楽療法の手法で、世界中で実践、研究されています。

しかしながら日本人へのボニー式GIMを用いた事例研究はまだわずかで、事例研究を通してその効果について考察する必要があります。それにより、ボニー式GIMの日本人への治療効果に関する示唆が得られます。

そこでこのボニー式GIMの事例研究に参加される方を募集します。対象は、自分の内面をボニー式GIMを通して探求してみたい成人です。今回も精神科病院で何らかの診断を受けたことのある人は、ご参加いただけません。また日本語による話し合いを通したコミュニケーション能力を持っている方が対象になります。

私は、現在ボニー式GIMの実践家になる為のトレーニングを受けている段階で、私が一人でボニー式GIMは実践できません。この実践はトレーニングの一部である練習セッションと兼ねて行われ、その過程はボニー式GIMの実践家であるスーパーバイザーの指導のもとに行われます。その為、実践の過程で明らかになることは、このスーパーバイザーとも共有されます。

参加される方には6回から10回程度の、継続的なボニー式GIMを受けて頂きます。1回あたり90分から120分のセッションで2週間に一回の頻度で行われます。場所は名古屋音楽大学の私の研究室を用います。そしてこの経過や結果を事例研究論文としてまとめます。

事例研究に参加されるのに、次の項目について十分にご理解いただいた上でご参加頂きます。
• この事例研究への参加は、参加される方の自由であること
• この事例研究に参加するのは無料で、お金や相当の対価を求められないこと
• この事例研究には、精神科病院で何らかの診断を受けた人は参加できないこと
• 事例研究としてまとめるのにプライバシーについて最大限に配慮されるが、その過程で明らかになること(例、年齢、性別または性的指向、GIM治療要素の経験の有無、研究参加動機、生育歴、治療プロセスで明らかにされること、など)が含まれる可能性があること
• ボニー式GIMへの参加過程で、難しい感情や不快さを体験する可能性があること
• 事例研究が出版される前に内容を確認し、何度でも訂正を求められること
• 途中で事例研究への参加をいつでも、やめることができること
• 途中で事例研究への参加をやめることに対する補償はないこと
• 途中で事例研究への参加をやめた方のデータは破棄され、研究として一切使われないこと
• 途中で事例研究への参加をやめることで参加者に不利益が生じることはないこと

以上の内容を十分にご理解した上で、事例研究に参加していただける方は、別紙の同意書に署名と捺印をしていただきます。

なおこの調査研究は、2018年8月30日に名古屋音楽大学倫理委員会により審査され承認され、2019年度においても倫理委員会の承認を得ています。

もし事例研究にご協力いただける方は、下記の連絡先にご連絡ください。

また何かご不明な点などございましたら、お手数ですが下記連絡先までご連絡頂けますようお願い致します。皆さんのご協力に心より感謝申し上げます。

猪狩裕史(イガリユウジ)

yigari@meion.ac.jp

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事例研究参加者の募集(GIM)-修正版

(一部加筆した最新版です)

この度、私は名古屋音楽大学音楽療法専任講師として、ボニー式音楽とイメージ誘導法 (ボニー式GIM)の効果について事例研究を実施することにしました。

ボニー式GIMとは、対象者が非日常意識状態(リラックス状態、または意識の集中した状態)で西洋音楽やリラクセーション音楽を聴きながら、イメージを自然に思い浮かべ、それについてセラピストと対話することにより自己洞察を深める音楽心理療法の手法で、世界中で実践、研究されています。

しかしながら日本人へのボニー式GIMを用いた事例研究はまだわずかで、事例研究を通してその効果について考察する必要があります。それにより、ボニー式GIMの日本人への治療効果に関する示唆が得られます。

そこでこのボニー式GIMの事例研究に参加される方を募集します。対象は、自分の内面をボニー式GIMを通して探求してみたい成人です。今回は精神科病院で何らかの診断を受けたことのある人は、ご参加いただけません。また日本語による話し合いを通したコミュニケーション能力を持っている方が対象になります。

私は、現在ボニー式GIMの実践家になる為のトレーニングを受けている段階で、私が一人でボニー式GIMは実践できません。この実践はトレーニングの一部である練習セッションと兼ねて行われ、その過程はボニー式GIMの実践家であるスーパーバイザーの指導のもとに行われます。その為、実践の過程で明らかになることは、このスーパーバイザーとも共有されます(この部分を追加しました)。

参加される方には6回から10回程度の、継続的なボニー式GIMを受けて頂きます。1回あたり90分から120分のセッションで2週間に一回の頻度で行われます。場所は名古屋音楽大学の私の研究室を用います。そしてこの経過や結果を事例研究論文としてまとめます。

事例研究に参加されるのに、次の項目について十分にご理解いただいた上でご参加頂きます。
• この事例研究への参加は、参加される方の自由であること
• この事例研究に参加するのは無料で、お金や相当の対価を求められないこと
• この事例研究には、精神科病院で何らかの診断を受けた人は参加できないこと
• 事例研究としてまとめるのにプライバシーについて最大限に配慮されるが、その過程で明らかになること(例、年齢、性別または性的指向、GIM治療要素の経験の有無、研究参加動機、生育歴、治療プロセスで明らかにされること、など)が含まれる可能性があること
• ボニー式GIMへの参加過程で、難しい感情や不快さを体験する可能性があること
• 事例研究が出版される前に内容を確認し、何度でも訂正を求められること
• 途中で事例研究への参加をいつでも、やめることができること
• 途中で事例研究への参加をやめることに対する補償はないこと
• 途中で事例研究への参加をやめた方のデータは破棄され、研究として一切使われないこと
• 途中で事例研究への参加をやめることで参加者に不利益が生じることはないこと

以上の内容を十分にご理解した上で、事例研究に参加していただける方は、別紙の同意書に署名と捺印をしていただきます。

なおこの調査研究は、2018年8月30日に名古屋音楽大学倫理委員会により審査され承認されています。

もし事例研究にご協力いただける方は、下記の連絡先にご連絡ください。また何かご不明な点などございましたら、お手数ですが下記連絡先までご連絡頂けますようお願い致します。皆さんのご協力に心より感謝申し上げます。

名古屋音楽大学音楽療法コース専任講師 猪狩裕史 (yigari@meion.ac.jp)

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書評:「音楽心理療法の力動〜転移と逆転移をめぐって〜」

この本は、精神力動指向の音楽療法士が執筆し、ケネス・ブルシアが編纂した本である。この本の目的についてブルシア(1998/2017 a)は、「音楽心理療法…において、転移と逆転移はどのように現れるか、現時点での洞察を提示すること」(p. 19)と述べている。転移とはとても簡単にいうと、臨床関係において、クライエントが過去の人間関係に基づく感情や思考パターンをセラピストとの関係に影響させることである。逆転移はこの逆で、セラピストが過去の人間関係に基づく感情や思考パターンをクライエントとの関係に影響させることである。これは従来の心理療法における概念であるが、音楽療法においてこの転移逆転移の対象は、クライエントとセラピストの二者間の関係以外にも存在する。それは音楽である。この第三の転移逆転移対象である音楽について取り扱った本書は、心理療法の文献においても重要な役割を持つと思われる。

もともと1998年にBarcelona Publishersより出版されたこの本が、2017年の日本において出版されたこともまた、日本の音楽療法にとってとても深い意義がある。翻訳者である小宮(2017)もその意義と意図についてまえがきで触れている。小宮は、日本では深層心理を探る音楽心理療法への潜在的ニーズはあるものの、精神力動に基づいた音楽療法への認知度も低く、それを専門にする教育機関も充実していないために、この本が日本でも手に取れるようにすることで、日本の音楽療法の幅の広がりを期待している。近年、音楽とイメージ誘導法(ガイデッド・イメジュリー・アンド・ミュージック、以下GIM)の実践家育成訓練(名古屋音楽大学、2016年6月28日)や、「精神分析的音楽療法」セラピスト養成講座(ドイツ音楽療法センター、n.d.)が開催されるなど、精神力動にその基盤を持つ音楽心理療法が活発になっている。その現代の日本においてこの本の日本語訳が出版されるのは大変に意義のあることである。

この本の重要性についてさらに述べると、この本はどのようにクライエントから転移を表してくるかということのみならず、どのように我々音楽療法士が逆転移をクライエント、そして音楽に表すかということに意識を向けさせてくれる。特に我々が音楽に対して抱く逆転移が、どのように療法に作用するのかを意識することは、倫理的側面から考えても極めて重要である。何故なら音楽に対する逆転移が療法のプロセスを汚染する可能性があるからである。ルクール(1998/2017)は「逆転移における審美性の役割」の章の中で、次のようにその危険性について言及している。

審美的指向のセラピーは、セラピストが自己愛的に補償の形式が欠如していることや、それを探していることが出てしまっているのかもしれない(…)。この場合音楽療法における音楽は、最初セラピストのニーズに答え、この補償への探索は自分自身のセラピーワークを行うことへのセラピストの抵抗の形式となりうる。患者とセラピストによる融合的な関係で共有される審美的な興奮は、至高体験のように、もしセラピストが患者と同じニーズを持つほどに職業的な距離を失った場合、過剰に自己愛的になりうる(p. 194)。

つまり、(音楽の)美的体験への自分のニーズ、または深い美的体験を他者と共有したいという音楽療法士側のニーズを、自らのセラピーで探索することをせず、他者の療法の場面で充足しようということが、療法のプロセスを汚染する逆転移の可能性を秘めているのである。このような逆転移についてどのように気づき、管理するかについては、ブルシアが第5章(「逆転移のサイン」)と第6章(「逆転移を明らかにし、取り扱うための技法」)で、また臨床例が書かれているその他の章において述べられている(1998/2017 b; 1998/2017 c)。特にタリー(1998/2017)とスカイビュー(1998/2017)、ブルシア(1998/2017 f; 1998/2017 g)の章は、逆転移について、本人の私的で誠実な内省を含めて多くの示唆を与えてくれるものである。

この本は大きく二つの部分に分けられる。前半には編纂者のブルシア自身が、精神力動における転移と逆転移、抵抗などの概念について詳述し、後半はそれらの概念が臨床においてどのように展開されるか、三つのアプローチの臨床家が論じる構成となっている。この本で扱われている三つのアプローチとは、即興演奏、歌、GIMである。即興演奏における力動については、ノードフ・ロビンズ音楽療法からタリーが、分析的音楽療法からはスカイビューが執筆している。歌については、ノラン(1998/2017)やボーカル・サイコセラピー(即興的な歌唱技法)のオースティン(1998/2017)が執筆している。GIMからは、サマー(1998/2017)やブルシア自身も執筆している(1998/2017 d; 1998/2017 e; 1998/2017 f; 1998/2017 g)。またヴェネゼーラのチュマッセイロ(1998/2017 a; 1998/2017 b)、フランスのルクール、カナダのアイゼンベルグ・グルゼダ(1998/2017)、合わせてデンマークの背景を持つスカイビューも執筆しており、アメリカ以外の視点も含まれている。

この本で特筆すべきは、ハドリー(1998/2017)とペッリテッリ(1998/2017)の章において、彼らが「クライエント」として受けた音楽療法セッションにおける転移反応について内省、分析していることだ。彼らは音楽療法士であり、これらの反応は個人的なものに過ぎないが、彼らの反応は音楽心理療法を受けるクライエントが持ちうる転移反応を具体的に表している。ハドリーはノードフ・ロビンズ音楽療法と分析的音楽療法を受けて、ペッリテッリはGIMを受けての転移反応について考察しており、この本を通して三つのアプローチの転移逆転移の両側面に触れることができる。ただ彼らの章や、前述のタリー、スカイビュー、ブルシア(1998/2017 f; 1998/2017 g)の章を読む上で読者が心に留めておかなければならないのは、彼らの自己開示はこの本がもたらす学術的意義のために葛藤の中で行われているものであり、実践家としてのあり方に対する評価や批判の対象にするものではないということである。

              この本がターゲットとしている読者は、大学で音楽療法やその関連領域についての学びを終え、さらに音楽を精神力動指向の療法に用いることを望んでいる人である。端的にいうと大学院やそれ以上のレベルの本である。つまり精神力動や、音楽療法にある程度触れた経験がある人であれば理解できるが、全く音楽療法に触れたことのない人が手にして容易に理解できる内容ではない。この本の前半で、精神力動の構成概念や、クライアントセラピスト間の力動について詳述されていると述べたが、それらは「心理学概論」の教科書にあるような図表を用いての解説がされているわけではない。そのような知識や経験による下地が、読者側にある程度あるという前提で書かれている。つまりフロイトやユングという名前を聞いて彼らが誰でどのような理論(例;イド、自我、超自我、心理性的発達理論、元型、など)をどのような用語を用いて展開したのかを大まかにでもわからないと、この本を読み進めるにも膨大な時間がかかってしまうと考えられる。さらに言えば、ノードフ・ロビンズ音楽療法や分析的音楽療法、GIMや精神力動に基づいた音楽心理療法への学びの過程にある人が、転移と逆転移の力動に意識を向けるために読むべき専門書である。

              この本で取り扱われている三つのアプローチの一つに、日本の音楽療法士が最も馴染みがあると思われる、「歌」を取り巻く実践がある。しかし、この本の中でそれが扱われている分量には物足りなさを感じる。オースティンの技法について書かれた章は、それ自体は非常に示唆に富むものではあるが、歌唱というよりも即興をベースにしたものである。チュマッセイロの二つの章も歌を取り扱っているが、精神力動の文献の中で、どのように無意識または意識的に思い浮かぶ歌が解釈されてきたかというもので、臨床現場での適応については限定的である。また、モンテッロ(1998/2017)はトラウマを受けた個人とのワークを紹介した章で、歌を用いた実践についてわずかに紹介している。ノランはソングライティング(歌作り)の過程での逆転移に触れているが、歌に関する取り扱いはその程度にすぎず、全体のボリュームから考えると物足りなさを感じる。

              それではこの本は、即興やGIMを勉強、実践しているごく一部の人だけが読めば良い本であるかといわれると、そうとも限らない。特に、前述のルクールが指摘した通り、音楽療法士には療法の過程で逆転移というものがあり、それが療法のプロセスを汚染する可能性があるということを知るという意味では、定期的に読み返すと良い本である。この本に触れることは、音楽療法士自身の成長や自己管理の必要性、倫理的問題への啓発においても重要である。特に前述のブルシアによる章(「逆転移のサイン」、「逆転移を明らかにし、取り扱うための技法」)は単体で読んでも示唆に富むものである。

              最後に、この本を日本の音楽療法の知識体に送り出してくれた小宮氏には深い尊敬と感謝を表したい。読むことでさえ大変な本を一人で翻訳したのには大変なご苦労があったであろう。この本の翻訳には、精神力動と音楽療法の両方に造詣の深い小宮氏でなければ成し得なかったと考えられる。また、直接この本の編纂者のブルシアと交渉をし、自ら翻訳を行い、アマゾンのオンデマンド方式で出版したことは、利益に結びつきにくい専門書の扱いに消極的な日本の出版業界の現実と、音楽療法の学術的発展に、一石を投じる行為だったと思う。一人で作業されたということもあるのか、誤字脱字は散見されるのだが、これらについては読者である私からも指摘をして、次の版での改善に期待したい。欲を言えば、667ページからなる大作なので、持ち運びやすい電子書籍での出版も今後是非検討してもらいたいところである。いずれにしてもこの本が日本の音楽療法の幅をさらに広げることは間違いないであろう。

参考文献

アラン・タリー (1998/2017). 「ノードフ・ロビンズ音楽療法における転移と逆転移」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 198-257) NextPublishing Authors Press.

イーディス・ルクール (1998/2017). 「逆転移における審美性の役割:能動的 対 受動的な音楽療法の比較」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 173-197) NextPublishing Authors Press.

カーニー・アイゼンバーグ・グルゼダ (1998/2017). 「ガイデッド・イメジェリー・アンド・ミュージック(GIM)における転移構造」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 546-567) NextPublishing Authors Press.

ケネス・E・ブルシア (1998/2017 a). 「編者まえがき」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 19-24) NextPublishing Authors Press.

ケネス・E・ブルシア (1998/2017 b). 「逆転移のサイン」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 101-124) NextPublishing Authors Press.

ケネス・E・ブルシア (1998/2017 c). 「逆転移を明らかにし、取り扱うための技法」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 125-155) NextPublishing Authors Press.

ケネス・E・ブルシア (1998/2017 d). 「ガイデッド・イメジェリー・アンド・ミュージック(GIM)における転移の現れ」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 486-513) NextPublishing Authors Press.

ケネス・E・ブルシア (1998/2017 e). 「ガイデッド・イメジェリー・アンド・ミュージック(GIM)における意識のモード:ガイドするプロセスのセラピストの体験」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 579-621) NextPublishing Authors Press.

ケネス・E・ブルシア (1998/2017 f). 「クライエントのイメージの再イメージ化:ガイデッド・イメジェリー・アンド・ミュージック(GIM)における転移と逆転移を探求するためのひとつの技法」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 622-646) NextPublishing Authors Press.

ケネス・E・ブルシア (1998/2017 g). 「クライエントのイメージの再イメージ化:投影性同一視を探求するための技法」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 647-661) NextPublishing Authors Press.

コーラ・L・ディアス・デ・チュマセロ (1998/2017 a). 「無意識的に誘発される歌の想起:歴史的視点」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 401-436) NextPublishing Authors Press.

コーラ・L・ディアス・デ・チュマセロ (1998/2017 b). 「意識的に誘発される歌の想起:転移−逆転移との関連」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 437-462) NextPublishing Authors Press.

小宮暖 (2017). 「訳者まえがき」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 3-4) NextPublishing Authors Press.

ジョン・ペッリテッリ (1998/2017). 「ガイデッド・イメジェリー・アンド・ミュージック(GIM)における転移の自己分析」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 568-578) NextPublishing Authors Press.

スーザン・J・ハドリー (1998/2017). 「即興的音楽療法の二つの形式における転移の体験」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 300-343) NextPublishing Authors Press.

ダイアン・S・オースティン (1998/2017). 「こころが歌う時:個人の成人との即興的歌唱における転移と逆転移」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 377-400) NextPublishing Authors Press.

ドイツ音楽療法センター(n.d.) 「セラピスト養成講座」 https://www.gmtc-jp.com/ausbildung/ より取得

名古屋音楽大学(2016年6月28日)「ボニー式GIM実践家育成プログラム・レベル1を開催しました(6/23~27)」 http://www.meion.ac.jp/topi/ボニー式gim実践家育成プログラム・レベル1を開/ より取得

ベネディクト・B・スカイビュー (1998/2017). 「分析的音楽療法における音楽逆転移の役割」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 258-299) NextPublishing Authors Press.

ポール・ノラン (1998/2017). 「臨床的ソングライティングにおける逆転移」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 463-485) NextPublishing Authors Press.

リサ・サマー (1998/2017). 「ガイデッド・イメジェリー・アンド・ミュージック(GIM)における純粋な音楽転移」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 514-545) NextPublishing Authors Press.

ルイーズ・モンテッロ (1998/2017). 「トラウマを受けた個人との精神分析的音楽療法における関係性の問題」 ケネス・E・ブルシア編集 「音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって」(小宮暖訳 The dynamics of Music Psychotherapy)より (pp. 359-376) NextPublishing Authors Press.

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私と音楽心理療法について:音楽心理療法のシンポジウム開催に向けて

私と音楽心理療法について:音楽心理療法のシンポジウム開催に向けて

名古屋音楽大学 猪狩裕史

 このエッセイは、第18回日本音楽療法学会学術大会で開催される自主シンポジウム「日本における音楽心理療法の発展と可能性」の企画者として、私と音楽、そして音楽心理療法との関係を、個人史的回想を通して振り返りながら、何故このシンポジウムを企画するに至ったかを述べるものである。

私がもともと音楽療法士を志したのは、私自身が音楽に救われた体験をしたからである。特に10代の時に自分のアイデンティティを模索する過程での複雑な感情や孤独、人間関係構築の不器用さを体験する過程で、そういったテーマを扱った歌によく慰めを受けた。私にとっての歌の存在について、ブルシア [1998/2017]が音楽心理療法の視点から的確に述べている。ブルシアによると歌は;

人間が感情を探索する方法である。歌は私達が誰であるか、どう感じているかを表現し、私達を他者へと近づけ、私達が一人でいる時に相手をしてくれる。歌は私達の信念や価値を主張する。月日が経って、歌は私達の生活の証言となる。歌によって私たちは過去を追体験し、現在を探索し、未来の夢に声を与えることができる。歌は私達の喜びと悲しみの物語を編み、私達の内奥の秘密を明かし、私達の希望と絶望を、恐れと勝利を表現する。歌は音の日記であり、人生の物語であり、個人の発達史である(p. 35)

 自分にとって歌はまさにこのような存在であった。自分の惹かれる歌を聞き、それにより自分の感情や考え、信じる価値観、希望、絶望が明らかになった。誰にも言えない気持ちを歌が代弁してくれた。また好きな歌を歌うアーティストを共にする人と仲良くなれた。雑踏の中で孤独を感じる時も一人イヤホンで歌を聞いていた。歌は自分にとってとても大切な存在であった。それなので、お医者さんに救われた子供が医師を目指すように、私自身が人間の心模様を歌い、人の心に寄り添えるアーティストになりたいと思っていた。そして大学時代に音楽療法という言葉に触れて強い興味を持った。「音楽」と「療法」という言葉から、自分がアーティストとしてやろうとしていることと近いのではと思った。しかし学部での音楽療法の学習は、発達障害やアルツハイマー型認知症、統合失調症などの重篤な診断を受けた人を対象にした、ウィーラー( Wheeler, 1983)のいう支持的、活動志向の音楽療法が主であり、その中でやりがいを感じながらも「何か違うな」という違和感を同時に感じていた。

そんな中で強く惹かれたのはボニー式音楽とイメージ誘導法(以下ボニー式GIM)であった。自分の興味があった洞察的、心理過程志向の音楽療法、さらには分析的、カタルシス志向の音楽療法である。彼女の書いた本、「音楽と無意識の世界」 (1990/1997)を購入し、ボニー本人によるワークショップに参加したこともあった。しかしながら、このような洞察的、分析的ワークは、大学院レベルの教育と聞きがっかりしたことも強く覚えている。

それから約15年の月日が流れ、2011年の東日本大震災の被災をきっかけに、私は再び大学院へと留学をした。米国ヴァージニア州立ラッドフォード大学のジム・ボーリング先生のもとで、学部生時代からずっと学びたいと思っていた音楽心理療法を学んだ。人間主義、精神力動主義、行動主義、認知主義の四つの心理療法における視点を統合して音楽療法の中で用いるアプローチを修士論文のテーマとして取り組んだ。修士論文の臨床例としてトラウマのある大学生との即興のワークを行なったが、即興演奏を通し自己を表現し、自分の感情とつながり、共に即興することで強い絆が生まれ、自分の内的な課題を他者に打ち明ける勇気が持てるように変容していった過程を目の当たりにし、「ああ、これがまさに自分のやりたかったワークなのだ」ということを実感した。

また大学院では、ボニー式GIMと再会を果たし、レベル1のトレーニングを授業の一環として受けた。その後私はボニー式GIMの実践家(フェロー)になるためのトレーニングを続けた。レベル2のトレーニングを受けた時の演習体験を通して、自分の中の、小さいけど自分の人生を40年以上も支配してきたトラウマの根源にイメージ体験を通してたどり着き、和解し、克服することができた。教育分析という言語のみのアプローチによる精神療法も受けてきたものの、それではたどり着くことのできなかった問題を、ボニー式GIMを通して克服できたのである。この時に涙がずっと止まらずたくさんの涙を流したが、その時のトレーナーであるニッキー・コーヘン博士に「40年以上溜め込んできた涙をやっと流せたね」と言われた、忘れられない体験であった。

このように音楽は、心理療法に求められる「人の心をより良い状態に変容させるプロセス」に介在し大きな役割を果たすことができる。私はそれをセラピストとしても、クライエントとしても知っている。日本の音楽療法の領域において、これまで音楽心理療法に関する議論は活発だとは言えなかった。しかしながら2016年に名古屋音楽大学でボニー式GIMの実践家育成訓練 (2016)や、「精神分析的音楽療法セラピスト養成講座」 (ドイツ音楽療法センター, n.d.)が開催されたり、ブルシア (1998/2017)が編纂した「音楽心理療法の力動〜転移と逆転移をめぐって〜」が小宮暖氏により翻訳されたりするなど、音楽心理療法について議論する下地ができつつある。これが、私が第18回日本音楽療法学会学術大会において「日本における音楽心理療法の発展と可能性」という自主シンポジウムを企画する動機であった。音楽療法は、まだ多くの可能性を秘めており、その一つがこの音楽心理療法の領域である。そして音楽心理療法についての議論をいま始めることが、音楽心理療法の日本における発展に繋がると考えている。

 このシンポジウムでは、四つのアプローチを取り上げることなっている。一つは「『大切な音楽』を媒介とした語りと沈黙:受刑者への音楽ナラティヴアプローチ」と題して、松本佳久子氏に、主に大切な音楽、特に歌に関する話し合いを通したグループ音楽心理療法についての話をしてもらう。また「精神力動と音楽:分析的音楽療法の音楽家へのアプローチを通して」と題して分析的音楽療法士の小宮暖氏に、また「ノードフ・ロビンズ音楽療法:クリエイティブな自己を解放する音楽アプローチ」と題してノードフ・ロビンズ音楽療法士で名古屋音楽大学非常勤講師の長江朱夏氏に、それぞれの音楽中心的で即興的なアプローチについて話をしてもらう。さらに「日本でのボニー式GIMの有効性と予防医学への可能性」と題して、日本初のGIMフェローである小竹敦子氏に受容的アプローチであるボニー式GIMについて話をしてもらう。これら三つの技法(歌、即興、音楽とイメージ法)は、ブルシアも音楽心理療法に用いられる主要技法として上げているものである(1998/2017)。それらについて日本の環境で実践をしている四名から話を聞けるのは貴重な機会となるであろう。さらに指定討論者に、ドイツ音楽療法センターの代表で「もう一人の自分と出会う:音楽療法の本」の著者である内田博美氏、横浜カメリアホスピタルの医師である山之井千尋氏に迎えて議論を深める予定である。

 先に名古屋音楽大学におけるボニー式GIM実践家育成訓練について述べたが、その参加者から、「ああ、このようなこと(音楽の持つ療法的な力について)を学びたかった」という声を多くもらった。私も先日ボニー式GIMのレベル3モジュール1のトレーニングに参加したばかりだが、学べば学ぶほどこのアプローチでは音楽が効果的に人の心に働きかけていることがよくわかる。そしてその学びの過程は、小手先のテクニックを教えるのではなく、参加者自身がGIMを体験しながら内観することが前提として求められている。今後日本の音楽療法が心理療法の分野で根付き発展していく上で、このような音楽の、または音楽心理療法の個人的体験に基づいた影響が、領域への深い関わり(コミットメント)につながっていくと考えられる。そのような話を各シンポジストから聞けることにも期待したい。

 

参考文献

Wheeler, B. L. (1983). A Psychotherapeutic Classification of Therapy Practice: A Continuum Procedures. Music Therapy Perspectives, 1(2), 8-12.

ドイツ音楽療法センター. (n.d.). セラピスト養成講座. 参照先: ドイツ音楽療法センター: https://www.gmtc-jp.com/ausbildung/

ブルシア, K. E. (1998/2017).音楽心理療法への導入. 著: ブルシアE.K., 音楽心理療法の力動:転移と逆転移をめぐって(ページ: 26-41). NextPublishing Authors.

ボニーH, サヴァリーL. (1990/1997). 音楽と無意識の世界:新しい音楽の聴き方としてのGIM(音楽によるイメージ誘導法). (村井靖児, 村井満恵, 訳) 東京都: 音楽之友社.

名古屋音楽大学. (2016年6月28日). 「ボニー式GIM実践家育成プログラム・レベル1を開催しました(6/23~27)」. 参照先: 名古屋音楽大学: http://www.meion.ac.jp/topi/ボニー式gim実践家育成プログラム・レベル1を開/

 

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音楽療法に関する相談を受け付けます

こんにちは。音楽療法士の猪狩です。

2018年度は少し時間的な余裕があるので、様々な音楽療法に関する相談を受けようと思います。音楽療法の論文指導を受けたい、音楽療法に関する相談(実践に関する悩み、音楽療法プログラム導入や拡大の相談、など)をしたいという人を募集します。単発でも長期にわたるものでも可能です。基本的にはスカイプを使用した論文指導や相談になります。詳しくは下記をご覧いただき、興味のある方は下記のフォームからご連絡ください。

  • 場所:オンライン(スカイプ使用)
  • 日時:相談に応じますが、基本的には夜間か週末になります。
  • 料金:5,000円(30分)

なお私については、プロフィールのページからご覧いただけます。

これを機会に音楽療法の実践も行いたいと思っていましたが、環境が整わず今回は見送りました。またそのような環境が整ったらお知らせします。

良い導きがありますように。

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芸術音楽と音楽療法(エッセイ)

世界音楽療法の日おめでとうございます!

Happy World Music Therapy Day!

今日3月1日は世界音楽療法の日なので、私が携わる音楽療法関係のお知らせを、今日は一日通して行ってきましたが、そろそろ一日も終わりそうなので、お知らせというよりも自由に想いを書きたいと思います。

今夜は学生に招待されて、小森伸二先生の門下生によるコンサートに行ってきました。とても素晴らしいコンサートで感激して帰宅しました。

そして、このコンサートで演奏された芸術音楽を聴きながら、『「この音楽と、音楽療法で使う音楽は、全く同じ要素でつながっている」ということを学生に感じて欲しいなぁ』と思いました。

音楽療法でよくある場面を想像すると、「クライアントの好みの歌(例;童謡、歌謡曲、ポップス、アニメソング)を音楽療法士がピアノ伴奏しながら一緒に歌う」といった場面が思い浮かびます。これは別にそこで起こっていることがクライアントの健康を支援することにつながっているのであれば、何も問題はありません。でもその伴奏をする時に、表現がおざなりになっていないでしょうか?

今夜のサックスアンサンブルの演奏曲の中に、ソプラノサックスが伸びやかに主旋律を歌う場面で、他の声域のサックスがアルペジオをしているのが聞かれました。そのアルペジオは本当に美しく、ソプラノサックスと共に同等の役割を演じていました。和声の一フレーズの中にも抑揚があり、音量も速さも生き生きと変化し、主旋律と共感し支えながら、主旋律の歌声に寄り添ってその音楽の旅路を共にしている感じがしました。

私は「歌は一つのストーリー」だと思っています。そのストーリーを歌うクライアントの伴奏をすることは、その歌の中にあるストーリーをクライアントと共にすることだと思っています。その歌のドラマの中に生きるということです。

その歌のストーリーに共感しながら、またそのクライアントの歌声の息遣いを感じながら伴奏をするのだから、たとえあるコードが1小節の中にあったとしても、ずっと同じ弾き方にはならないはずです。今夜のサックスアンサンブルで表現されていたような抑揚や、音量や速さの微妙な変化が存在する必要があります。それがクライアントに、音楽以外では感じられない美的体験をもたらすのです。もし機械的に音符にある音のみを演奏するのであれば、音楽療法士は必要なく、カラオケマシーンがあれば良いのです。

また低音域のオスティナートの上でソプラノサックスが即興的に演奏したり、フリーテンポっぽい和声進行の後に、ソプラノサックスが歌い上げたりする場面は、音楽療法の即興でもよく見られます。オスティナートのようなリズム的繰り返しと安定性が、クライアントの自由な器楽演奏(例、打楽器、特定のスケールに配置された音積み木、ピアノの黒鍵、など)を支え、後押しします。またフリーテンポの和声進行の後に間を持ち、クライアントが演奏で答える形を作ることで、音楽的な対話を発展させたり、音楽的に独り立ち(ソロ演奏)する支えになったりします。その時に和声進行の中に微妙な変化(和声構造、音量、フレーズの長さ、リズムパターンなど)があることで、返答の仕方や音楽的独り立ちの在り方が変わってきます。そのクライアントらしさが生まれてくるのです。今夜の演奏の中にも、ソプラノサックスのメロディが変化し発展していった通りです。全く同じことです。

また今夜の演奏曲中に部分的に聞かれた、違う声域でも高らかに歌い上げるユニゾンは、「我々は違うけど一つだ」という気持ちを持たせてくれます。音楽療法の場面においても、そのようなクライマックスに向かう体験が必要な時には、伴奏でも即興によるアンサンブルでも、和声なんか必要なく、一緒に単音メロディを歌ったり弾いたりすればいいのです。ユニゾンだからこそもたらすことのできるパワーとメッセージがあります。

音楽療法の場面で、打楽器を使うのをよく見ますが、音楽の美的経験(音楽の中にあるストーリー)を台無しにしていることが多いです。今夜のラージアンサンブルで参加したパーカッショニストの繊細さにあったように、タンバリン一つで音楽のストーリーやドラマを共にできます。ただ鳴らせばいい「鳴り物」のように扱わないで欲しいです。

様々述べてきましたが、芸術音楽にあるような音楽性を音楽療法に持ち込むべき理由として、我々音楽療法士はクライアントに「音楽的に寄り添う」必要があるからなのです。「音楽的旅路を共にする」必要があるからなのです。音楽はその人のストーリーや旅路を色鮮やかにするもので、それが言葉を超えたかけがえのない体験をもたらし、音楽を通してクライアントを勇気付けたり、表現できなかった悲しみや怒りに触れさせたりするのです。それがクライアントの変化への力になるのです。このようにクライアントに言葉を超えた体験をもたらすためには、音楽は芸術音楽のように豊かでなければなりません。

私は技巧主義の話をしているのではありません。音楽療法士には音楽の豊かさを常に意識して欲しいということです。

今夜招待してくれた学生が、このように芸術音楽に触れる機会があって本当に私は嬉しく思うし、音楽療法の学生を受け入れてくださる小森先生には感謝です。彼女らが、この豊かな芸術音楽に触れて、それと同じ豊かさを彼女らの音楽療法の現場にも持ち込んでくれるといいな。

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